私の日々アップデート言霊空間日記vol.7 2022 10/27 慈と愛と悲からのお便り

私の日々アップデート言霊空間日記vol.7 2022 10/27 慈と愛と悲からのお便り
【私のハイヤーセルフから届いた慈と愛と悲からのお便り】

1.言葉の葉書一枚目

私の主観であり客観という思い込みなのか、私の客観であり主観という思い込みなのか、どっちがどっちかよくわからないし、何を言いたいのかわからないという先方の意見もあるとは思うが、結局は、人ひとりの愛の深さと大きさ次第ではある。

2.言葉の葉書二枚目

何も知らない無垢に対して火種が飛び散ると、欲望のバイオレンス化が起きるわけだが、日本はその峠は越えているし、そのエネルギーすらも無い。良くも悪くも拍子抜けして、食べるものがなくなったら、普通に道に生えている草木を食べているかもしれない。 

3.言葉の葉書三枚目

日本は先天的な山と海に恵まれている国土である。萎縮してしまった土台に愛を与えれば、いろんなものが育つお国柄である。

4.言葉の葉書四枚目

空理空論の盲信による人々の信仰的欲望によって生まれた人工的真髄が、何かと何かを掛け合って(同一化)、更にそこに合理的利便性も相まって、価値の交換と置き換えによる思い込みが、カネという概念と文字という概念である。

5.言葉の葉書五枚目

我々は煩悩の塊として生きとし生けるものであり、それは光の中の闇でもあり闇の中の光でもある。この事に対して、ネガティブに解釈するのもポジティブに解釈するのも煩悩である事には変わりはない。この事を観念した母を拵えているかそうでないかで、慈愛と憐憫の大切さに直覚する。

6.言葉の葉書六枚目

慈悲深き思いやりの気持ちを大切にする壮大な母を抱き締めたところから、分子において、理解力と想像力であり、その力を常にアップグレードして活かすには、いろんな事を知って学んで経験した糧を、教養として根ざす以外にない。

【慈と愛と悲について、己でもっと深めようとするために参考にした動画】

第652回「空という真理に基づく慈悲」2022/10/20【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師
http://youtu.be/4X4ceAZkGLE 

【私の風変わりな見解】

例えば、仮想という念いが、既 に仮想である。 そもそも、 仮想という 文字も言葉も仮を造形した像の示しで ある。

この世は、仮想であるという概念的意識によって、人々から解き放たれるシンパシーによって派生された空間認知から仮想であるという流動性を帯びたものであり、かといって仮想と固定されるものでもない。

光に照らされたら影ができるように、影においての現実なのか、実存においての仮想なのか、またその逆の実存においての現実か、影においての仮想か、互いが常に掛け合った無限の流動で、コロコロ変わっている。

一人ひとりの念い込みという大本の根っこは、全ての生命において、共存の平等精神を生まれる前から備わって生きとして生けるものである。

だからこそ、絶対的に変える事ができない唯一無二の尊い命において、宿命的煩悩から、慈悲の念や、慈愛の念が生まれる。

私の心に響いた御言葉

#空 #無 #愛 #鏡 #救済 #慈悲 #純真
澄み切った客観を体得して、無私になればなるほど愛は深くなり大きくなる。

#人生 #宗教 #意識 #感情 #政治 #カルト #精神 #哲学 #国民国家 #自然 #慣習性 #正義 #過剰 #仮想 #実態 #空 #信仰 #利己的 #狭義 #戦争 #二元論 #大自然 #大宇宙 #相対 #自愛 #慈悲 #適応性 #専門性 #大人 #子供 #原理原則 #合理性 #情緒 #客観 #主観 #理性 #感性

私の日々アップデート言霊空間日記vol.6 2022 10/9 日本から観た母的性質と父的性質を考える。

私の日々アップデート言霊空間日記vol.6 2022 10/9 日本から観た母的性質と父的性質を考える。

私が参考にした動画

カンブリア紀から生き延びた3つの生存戦略│小名木善行

https://youtu.be/0h5HMOvrnms

令和4年10月時事解説・時局分析|藤原直哉理事長(収録型)

https://youtu.be/xoM5WzZwRnc

動画を拝聴して閃いたコメント
日本人は感情が先に出て判断してしまうという事に対して、私なり、大きな客観性で考えてみると、やはり母系が強く帯びた文化的意識が強いともいえる。理よりも感性に頼る部分が多分にある。

逆に、父系が強く帯びた文化的意識が強い場合、基本が、闘う競うというのが根幹にあり、勝たなければ殺される背景があるから、先に感情が優先されてしまうと、戦略も戦術もない状態になる。必然的に論理的思考が優先される。

父系の方は、はっきり形で示さなければ、そもそも物体的存続が存在しない。

母系の方は、全てがインスピレーションの霊的精神性なものだから、そもそも形で示すことができない。

次元という定義で考えた場合は、無限大の渦に還る方向性になればなるほど、宇宙も地球も空も太陽も海も山も、人も動物も昆虫も植物も、見えないものから、見えるものまで、あらゆる全てと結びついて、抱き込み、八百万神になっていくわけだから、次元が高いとか低くとかいうよりも、【しっかりと見つめて手の中にあるよ】という事だと思います。

母性と父性を相対的に考察

母性 霊的感性が鋭い オキシトシン分泌量が多い 自己犠牲濃度が高い=自己防衛濃度は低い 情緒的 大洋を司る(水と地)

母性が歪むと大海は荒れる。

父性 霊的感性は鈍い アドレナリン分泌量が多い 自己防衛濃度が高い=自己犠牲濃度が低い 論理的 太陽を司る(光と天)

父性が歪むと大海に溺れる。

これをうまく結んで治めることで、バランスという均衡が取れて、互いの行き過ぎた部分を、持ちず持たれずの調和になる。正に、これが我々の政治であり、生活そのものである。

日本はもしかしたら、神と仏、太陽と大洋をうまく掛け合わせ、一本槍的な概念を、道徳的な和合形態で封じ込めて、潜在的に丸く治めているのかもしれない。そうであるならば、かなり高度な文化形態かもしれない。

前提として、かなりポジティブに攻めた解釈にはなるので【御陵承(ごりょうしょう)】←私の造語

頂けたら幸いです。

中道、中庸、中、間、和、輪、円、空を拵える、無を拵える

日本から觀た私の見解

少なくとも弥生時代以降は、外的要因からの、攻めと専門性に長けた力を持つイノベーションの原始をネタとして、そこからの独自のオリジナリティに優れた文化的意識が継承されているのだと思います。

しかしながら、今はその外的要因からの攻めと専門性を持つイノベーション自体のネタを出し尽くして、そもそも何かを生み出す種が衰退してしまった感じは否めない。衣食住が安定しないお国でもスマホはあるぐらいですからね。

ただし、これは物質的の見える形を定義とした話です。

後は、見かけと形に重きを置いた理系的な父性(欧米)と理系的な母性(明治以降の日本)の創造的運命が衰退していく方向性になっていく世の中になると、見えない形による霊的感性に富んだ不思議な神秘力による詫び寂びと質実剛健が台頭するのでしょう。

この分野においては、本来、日本の和において得意分野ではある。

物質的な形による数や量を合理化した理系的な創造マインドはマイナーになっていき、数値的な経済自体は低成長になるが、数字やモノや形では計る事ができない、精神性と中身重視のオンリーワン成長がメジャーになっていくでしょう。

私の完全主観及びまとめ

どちらが良い悪いで生かすか殺すかの父性型(父系)の二元論思考ではなく、一つの生態系としてあるものはあるわけで、互いが認める以外に何もない。

何故ならば、二元論思考の場合だと未来永劫、反転輪廻が繰り返されるだけで、何にも学習していない嘆かわしいことである。それでは、本質的には畜生と変わらない。人類としてのみみっちい自己のプライドではなく、人類そのものの大きなプライドは持ちたいものだ!!

最後に

己に対して戒めとしての秋の御言葉


【物言えば唇寒し秋の風】

「他人に対する批判や文句、悪口」の意味で使われています。他人をやたら批判したりすると、あとになってとても後悔することがありますよね。「なんであんな悪口を言っちゃったんだろう……」と。まるで冷たい秋風が唇に触れて寒々しい感じがするかのように。無用な悪口をいましめる、そんな狙いをもったことわざです。

#人生 #宗教 #意識 #感情 #政治 #カルト #精神 #哲学 #国民国家 #自然 #慣習性 #正義 #過剰 #仮想 #実態 #空 #信仰 #利己的 #狭義 #戦争 #二元論 #大自然 #大宇宙 #相対 #自愛 #慈悲 #適応性 #専門性 #大人 #子供 #原理原則 #合理性 #情緒 #客観 #主観 #理性 #感性

私の日々アップデート言霊空間日記vol.5 2022 10/1  愛と我の心について考える。

私の日々アップデート言霊空間日記vol.5 2022 10/1 

愛と我の心について考える。

第488回『政治と宗教と和の思想』(2022年8月16日YouTubeライブ 44min)
https://youtu.be/KSzC0cc02Dg

私のコメント

勉強になります。ありがとうございます。

私のオリジナル見解

好きは嫌い、嫌いは好き、は常に我にあり。愛は、好きも嫌いも突き抜けて、育むことである。何か限定的に特別扱いするというのは皆無。

我の心は、純粋な真っ白なものを、色眼鏡(≒固定概念)で勝手に色を変化させて、更にいろんな色が混ざり合う事が積み重なる(≒悩みが深まる)と、あらゆる色が全て真っ黒にしか見えなくなる。それが闇の中から抜け出せないという事だろう。

つまり、愛が憎いという煩悩。しかしながら、人は煩悩の塊だからこそ、それは何か成長するための糧になっているが、それを活かすか活かさないかは、やはり心の学習が必要である。

最終的には、我の心に対して我がしっかり育んでいるかと同時に、育むという事は大切にしているかという事。

ただ、殆どの人は、我の事は勝手に都合をつけて自己暗示にかけて、周りの外の世界だけに意識が偏り、我そのものを我がわかっているようで、何にもわかっていない。

仏陀様の御言葉

憎しみは憎しみによって終わらない。愛によって終わる。

#人生 #宗教 #意識 #感情 #政治 #カルト #精神 #哲学 #国民国家 #自然 #慣習性 #正義 #過剰 #仮想 #実態 #空 #信仰 #利己的 #狭義 #戦争 #二元論 #大自然 #大宇宙 #相対 #自愛 #慈悲 #適応性 #専門性 #大人 #子供 #原理原則 #合理性 #情緒 #客観 #主観 #理性 #感性

私の日々アップデート言霊空間日記vol.4 人の生きる意味と幸せの相対性について考える 2022 9/30

私の日々アップデート言霊空間日記vol.4 人の生きる意味と幸せの相対性について考える 2022 9/30

私が参考にした動画

「人の生きる意味を教えてほしい」(15min)

わたくしのオリジナル見解

何かの前提そのものは、そのままスルーされたところからの、比較の二元論から人々の普遍的意識が帯びている。

その何かの前提というのは、基本的には超シンプルかつ当たり前なものだから、そこの部分に意識が向かう事に対しては、人々は、無意識的に嫌悪を抱き考えようとはしない。それは無意識的に脳で自動的に秩序が成立している。

逆にそこに意識が向かう人は、周りから変人扱いされるか、狂人扱いされるか、という印象を与え、また、何かしらの開拓者、先駆者、哲学者、勇者かもしれない。

特に、今現在、悪という普遍性があるものに対して、定義そのものから、考えようとする事に対してでしょうね。

比較の自在性を修得するには、やはり、いろんな経験や体験を積んでいかないと、一本槍になりがちで、わからないですね。

ただそこに記憶力というのものがないと、学習にはならないから、その経験や体験を活かす事ができないと同時に、心の持ち方も同じ=心そのものが怠けたままである。

煩悩即菩提(ぼんのう そく ぼだい)⇔煩悩=悟りの種 


煩悩を悲観しても楽観しても煩悩であることには違いはない。

人生苦楽一体、己をしっかり抱きしめて前へ進むしかない。

とは言っても、時には人生の中で、

後ろに進むこともあるが、間が鈍るからゴツンと激しい衝突になる。

それによって、核反応か化学反応が起きて、人々の好奇心を駆り立て革新的な創造もある。

しかしながら、ゴツンという激しい衝突からの嘆かわしい事象は消える事はない。

最後に達磨様の御言葉

#人生 #宗教 #意識 #感情 #政治 #カルト #精神 #哲学 #国民国家 #自然 #慣習性 #正義 #過剰 #仮想 #実態 #空 #信仰 #利己的 #狭義 #戦争 #二元論 #大自然 #大宇宙 #相対 #自愛 #慈悲 #適応性 #専門性 #大人 #子供 #原理原則 #合理性 #情緒 #客観 #主観 #理性 #感性

私の日々アップデート言霊空間日記vol.3 2022 9/30 人の煩悩と救いについて考える

私の日々アップデート言霊空間日記vol.3 2022 9/30

人の煩悩と救いについて考える

わたくしの参考にした動画

#悩み #人生 #心理学

「『救い』は他者か自分の中か」(2min)

【衝撃】仏教の人間観。すべての人は煩悩100%

煩悩とは、私達を煩わせ悩ませるもの。

全部で108あります。

中でも代表的なものが、貪欲、欲の心、瞋恚、怒りの心、愚痴、うらみやねたみの心で、これを三毒の煩悩と言います。

わたくしのオリジナル見解

救いそのものは、表裏一体ではあるが、己自身が、他者と自分を激しく区別すればするほど、己も他者も救いは離れてゆく。

しかしながら、人は、その時々の場面において、これが良い、これが悪いと常に刹那で取捨選択しているから、歩む(歩く)ことができるわけである。

それを包括的に抱き込まずに、一点集中で執着すればするほど、心に遊びというかゆとりがないため、常に心がジェットコースターである。

車の運転なら、常に急ハンドルを切って、急ブレーキ、急発進を維持するようなもので、心身にすぐにガタがきて、周辺の穏やかなものに対しても波風を立てて、みんな興奮状態の危機的状況空間に呑まれる。それが過剰になると、お釈迦さまが登場して、生と死の悟りについて問いただすお呼びがかかる。

煩悩100%というものは、厳密には99.9999999・・・・%という表現の仕方で示します。感覚的にはほぼ100%ですが、真理においては、この世に絶対的な100%があるないということ自体がないと思っているし、絶対的な100%という意識そのものは、実質的には何かを決め込んだ認識になるので煩悩そのものだと思っています。

この世にいる創造は、わずかながらでも必ず【隙間】があると思っているし、隙間がなければ密封状態で【運動】が存在しないため、【運動】がないという事は、そもそも【何かと何かが結びつく事がない】ため、原子から分子、分子から細胞、細胞から生命がそもそも存在しないと思っています。もっと広大なダイナミックに俯瞰するならば、地球も星も宇宙も海も大地も大気も、【無の運動からなる無限という動詞】ではなく、【運動がない無の密封状態】なので、何も【創造が存在しない】ことになります。

常にプラスとマイナスがあると仮定したならば、その中間のよくわからない論理では説明しようとすることができない不思議な空という間がある。更にこれを掘り下げて、何故、論理で説明できないかという理由は、論理そのものが、形として示すための文字を使用するため、文字そのものの存在が、白か黒かの決めつけの示しが既に存在しているから、その中間を説明すること自体に矛盾が生まれるのである。

それを例えるならば、我々が【黒】のマジックペンで【白】と【文字】で示せば【白】と認識するのは当たり前な自然なことかもしれない。
が、しかし、そもそも【文字】という【概念】がない自然界で生きるものにとっては、【白】ではなく【黒】と認識する。

!!❤みんなで煩悩を学ぼう❤!!

最後に、私の煩悩からの煩悩を唱えた煩悩言霊

私は人間そのものに興味があり学びたい。何故ならば、私が人間と自覚しているから。

しかしながら、何かの前提そのものが、その時々の人の口から出るものは良い加減に対応する。

その【いいかげん】という文字そのものに対して、前提がネガティブから入るか、ポジティブから入るかで、人の心はコロコロ変わる。

また、【いいかげん】という音のトーンそのものに対して、前提がポジティブで頭でわかっても、感覚がネガティブになったりするのも人の心である。もちろんその逆もある。

人の心は最終的には、文字よりも音の感覚的な情報の方を優先する。

何故ならば、大自然界においては理屈よりも感覚がなければ生き残れない。

人も衆生の一員であることには変わりはない。

自然は人も動物も包括的なバランスで変化している。

「変化してはならない、または変化しなければならないという」~であるべき論を唱える正義を持つのは人間の煩悩である。

#人生 #宗教 #意識 #感情 #政治 #カルト #精神 #哲学 #国民国家 #自然 #慣習性 #正義 #過剰 #仮想 #実態 #空 #信仰 #利己的 #狭義 #戦争 #二元論 #大自然 #大宇宙 #相対 #自愛 #慈悲 #適応性 #専門性 #大人 #子供 #原理原則 #合理性 #情緒 #客観 #主観 #理性 #感性

私の日々アップデート言霊空間日記vol.2 2022 9/28自然の摂理と人工的な~との相対性についての問題を考えてみる。

私の日々アップデート言霊空間日記vol.2 2022 9/28

自然の摂理と人工的な~との相対性についての問題を考えてみる。

わたくしが参考にした動画

第490回「聖徳太子と和の思想」(2022年9月23日 仙台 52min)

あらゆる全てに人工的な侵食が際立っているエリアは、正に日本の首都であり、大都会の東京が一丁目一番地の根源的な総称として示せるわけではあります。

人工的という意味そのものは、人の力であれこれ修正、補正を加えるという事ではありますから、これ自体は人間としての誇りであり人間そのものが、食うか食われるか、生きるか死ぬかという常に油断もスキもない厳しい自然界から身を護るために、学習能力に優れた智の恩恵でもある。

しかし、その裏側には智に優れるが故の弊害の源も天から与えられた。

その弊害の源は、人が何かわからないものを恐怖不安から崇高的に奉り、宗教を介して人口が人工を呼び、人工的によって生まれた人だからできる工の真髄が、まさにマネーである。

マネーは、どんな物にでも交 換することができ、実体はないけど実体があるかの如く働く、見えない信用と信仰から人を惑わし、また引きつける不思議な力。自然界では猫に小判だが、人間界では人工的なものでも、自然の摂理の如く馴染んでいる。

更に、この人工的というものを、人間の身体で示すならば、まさに人の頭脳であり、首をちょん切って胴体なしで、頭だけで生きていけるというのは、空想の世界だけのファンタジーではある。

頭脳そのものも凌駕しているのが、体の中にある心臓であり、呼吸の心拍数そのものであり、大自然の見えるものから見えないものまで全て一体に繋がった無限であり、頭脳を飛び越えて無意識にシンクロしている。

しかしながら、人間は頭脳が優れるが故に人工呼吸とか、今は人工心臓とかあるのかないのかわかりませんが、人間が人間に対しての人工的に介入することで、自然の摂理の定義から觀たら不自然ではあるが、社会的価値としての公という前提から觀たら、人としての自然な行為であるという普遍的認知の空間情報で馴染んでくると、不自然なものも自然なものとして、自然なものも不自然なものとして、都合をつける事ができてしまうのも人間である。

これを客観的にダイナミックに俯瞰すると、大自然から觀たら不自然なことが、人間から觀たら自然なことにもなるかもしれないが、そもそも自然も不自然も大自然において無限の連なりの一体の中の一員であり、それを分けて解釈している時点で不自然なことなのかもしれない。

つまりは、人間である以上、人間が施す、人工的な~というものも引っ括めて大自然の一部であり一員であるという存在は紛れもない真実性に帯びたものであると言えるだろう。

まとめ

人工的、自然的という事に対しての物差しにこだわる人間の存在そのものは大自然の無限の連なりの中の一部であり一員であり、特別扱いされるわけでもない。ありのままであり。無常そのものである。

「人工的な頭脳と自然的な体の両輪で成り立っている」←これは私の解釈である。。。

私もあなたも含めた、全ての人々の解釈がある中の人々の意識空間の【儚い空の世界である】ことは確かなありのままの認識で観念することはできる。

従って、人の意識空間であるという事は、そもそも自然も人工も解釈一つでいくらでも都合がつき、さらに前提としての何処からが自然で、何処からが人工かという線引自体もよくわからないし、線引をしていること自体が、そもそも不自然だろうという意見も当然あるだろう。つまり、キリがない無尽蔵であり、永遠に答えなどないという答えが真理なんだろう。

しかしながら、論理的にはキリがなくても、一人ひとりの最大限の希望という可能性を広げ、前へ歩いて生きているという意味を持たせ元気を取り戻すには、やはり理屈を超えた先にある【※閉ざされた心からの解放※】に尽きるのだろう。

【※閉ざされた心からの解放※】とは

私たちは、時には涙を流し、時には心を痛め、時には誰かのために努力して、失敗したら悲しくなり、成功すれば喜んだり、心がコロコロと変わる。その不完全を認めたところから、その不完全な自分をしっかり抱きしめて瞳を閉じて己自身を見つめてみると、「どんなプラスもマイナスも、私に必要があって変化している」と、ありのまま受け入れる以外に何もないだろう。

真理の根本】

諸行無常:ものごとは絶えず変化している

諸法無我:すべては関係しあっている

涅槃寂静:心の水平線

それを踏まえて考えると、尊くて大切な事は、【※聖から※】の心にある慈しみと労ることを頭も含めた己の意識全体に宿っているか、またそれを感じることができるだけの直向きな優しさという強さが大切なんだろう。

これは理性を支える分母に拵えているかそうでないかで、己の精神性が未熟か成熟しているかにも激しく関係するものであろう。

※聖から※】

相対もない比較もない

上も下もない

右も左もない

大きいも小さいもない

全ての根源的中心は終始同じ

⇓❤これをみてね❤⇓

最後に、
老子の御言葉

#人生 #宗教 #意識 #感情 #政治 #カルト #精神 #哲学 #国民国家 #自然 #慣習性 #正義 #過剰 #仮想 #実態 #空 #信仰 #利己的 #狭義 #戦争 #二元論 #大自然 #大宇宙 #相対 #自愛 #慈悲 #適応性 #専門性 #大人 #子供 #原理原則 #合理性 #情緒 #客観 #主観 #理性 #感性

私の日々アップデート言霊空間日記vol.1 2022 9/26 熱狂的信仰と人間の意識そのものについての問題点を考える

私の日々アップデート言霊空間日記vol.1 2022 9/26

熱狂的信仰と人間の意識そのものについての問題点を考える

私のコメント

非常に勉強になります。ありがとうございます。

第489回『他では聞けない統一教会の話・日常生活の悩み何でもQ&A』(2022年9月15日 ライブ 91min)
1.上祐代表は性欲が高まったりしたときはどう対処しているのか。
2.上祐さんは、歳の差結婚についてどう思うか。
3.現在の日本で喫緊かつ最重要な問題・課題は何かと思うか。
4.性欲をうまくコントロールできた人などのエピソードを知りたい。
5.snsでの真剣交際をどの様に親に伝えればよいのか。
6.友達の電話で夜遅く寝不足なり、必要以上にイライラしてしまうが、どう考えたらいいか。
7.子供の乱暴な言葉遣いにどう対処すべきか。
8.両親のことが好きだが、とても甘すぎることでよく揉めてしまうがどうしたらいいか
9.「拡大自殺」などの事件が起こるたびに、犯人の境遇や考えが自分と似ており(孤独や社会的にうまくいっていないなど)、自分の将来に不安を持ってしますがどうしたらいいか。
10.私は幼少期の母親の教育のトラウマで人付き合いが苦手、独りが気楽ですが、結婚して息子がいるが、一緒にいるのが辛くてたまりません。何か人といても許せる、気が楽になるにはどうしたらいいか。
11.大人と子供の違いは何処にあるのか。
12.友人たちが最近ナショナリズムに目覚め、考え方は違えども優しいいい人たちなのでうまく付き合いたいがどうしたらいいか。
13.ヤマトQやトランプ現象やネトウヨはオウムに似ているか
14.文系は理系に比べて非論理的であるというような風潮があるのは何故か
15.一般論として、結婚はどのような女性とするべきだと思うか。
16.自分が強すぎて、職場や友人関係がうまくいかず、また、自己中心的をなかなか直せませんが、歳をとってくると落ち着くのか。
17.スマホで俗に言う心霊写真がスマホで撮れてしまったが、自然現象なのかどうか。
18.学生で実家暮らしのとき両親に長いこと性的虐待、精神的虐待をされ、抑圧されたおかしな環境で育ったせいで、大人になって弊害が出ているが・・・。
19.信仰のある人とない人、それぞれどう歩み寄れば良いと思うか。

#人生 #宗教 #意識 #感情 #政治 #カルト #精神 #哲学 #国民国家 #自然 #慣習性 #正義 #過剰 #仮想 #実態 #空 #信仰 #利己的 #狭義 #戦争 #二元論 #大自然 #大宇宙 #相対 #自愛 #慈悲 #適応性 #専門性 #大人 #子供 #原理原則 #合理性 #情緒 #客観 #主観 #理性 #感性

わたくしの想像的オリジナル見解

今日においては、大自然の猛威というものが、作為がある人工的か純粋なあるがままの猛威なのかという判別は、正直わからない。我々のはっきり目に見えているありのままが現象している結果としての事実をありのままに受け入れる以外に何もない。

が、しかし、人間は、それが作為がある人工的なものと認知した瞬間に感情が湧き出て、それをきっかけとして目覚めて、何か【※影響的エネルギー※】が派生して、もう一つの人工的な空の世界が生まれて、またその中にも作為がある仮想的な猛威と、仮想的な猛威の人工的空間そのものを純粋あるがままの何か現象としての結果としての事実というものも、またそれも自然な事ではある。

【※影響的エネルギー※】について、

根を探ったところにある問題意識についてのTwitterつぶやき

人々が、競争の優位性意識からの傲慢と慢心の集合意識の相乗効果で、あらゆるものがバブルの如く膨張してカルト化する。という事に対して根がある人とそうでない人では、判断力に違いが出る。また、それを利己的に欲する人がいて、その正義の仮面に欺けられる人もいる。ケンカも戦争も原理原則は同じである。

https://twitter.com/Kaminootu/status/1574088099524530178?t=e8llIo3_aJyT31bIjycC2g&s=19


まとめ

人々は、感情が湧き出ると、人と自然を、その感情度合いに比例して、はっきり区別したがり、その区別した前提の上で、更に良いと悪いの区別をしようとする事に対して、己のメモリー領域が大きければ大きいほど、広くて浅い適応性に優れ、己のメモリー領域が小さければ小さいほど、狭くて深い専門性に優れる。

お互いに良いところ悪いところがあり、認め認め合う、【聖の方向性】をお互いが探り探り合う、仄かなポジティブが常に充満している見えない空間情報が、言葉や論理の手前にある潜在的意識に、人々はシンクロしていることが望ましい。

その事については、あまりにもシンプルではあるが、己が己自身に対しての空っぽの一人の時間空間を設けて、リラックスしてデフォルト状態になる事が最も大切でもある。ただ具体的な方法論の形は、己自身で知って探して試して試行錯誤しながら、オリジナルかつオンリーワンのものとして体得するしかない。

更にそれに対しての相対的関係性【ヒト、モノ】と相対的空間性【立場と都合】を失うものが大きくて多い人と小さくて少ない人がいるかもしれないが、そこの部分の意識に対しては勇気という強い決断力は必要である。

煩悩を学ぶ

私は混雑した電車に乗っていた時、電車がひとつの駅に停まり老夫人が乗ってきた。私の横に座っていた青年がさっと立ち上がり「どうぞ」と席を譲った。遠慮する老夫人に青年は「降りますから」と言って電車を降りた。老夫人はホッとした様子で腰をかけた。しばらくして隣の車両を見ると、先程の青年が人混みに混じって立っているではないか、私はハッとし同時に青年の心遣いの深さに感動した。席を譲ってくれた人が自分の前で、吊手にぶら下がりながら立って揺れていたら、何となく心苦しいではないか、そういう思いをさせないために「降りますから」とさり気なく言って電車を降り、素早く隣の車両に乗り換えたのである。

良いことをしてあげたとしても、相手の重荷になるようでは考えもの。相手に負い目を追わせる事も同じである。目立たぬように、際立たぬように、さり気なく行うのが良いのであります。

私達は気が付かないうちに【おごりの心】を持っているのです。こういう煩悩を持っていることを謙虚に学ぶことが大切である。

8つのおごり

1.健康に対してのおごり

2.若いというおごり

3.長寿としてのおごり

4.生まれ育ち、家柄、血筋としてのおごり

5.色欲のおごり

6.財力のおごり

7.博学多才のおごり

8.良い事をしたというおごり

良い事をするにあたっての2つの留意点。

1.善の押し付け、善意のおっせかいによって相手を傷つけない事。

2.善の行為の心の底に【私が】という利己の心が潜んでいないかという事。

如何に私たちの心の奥深くに煩悩が潜んでいるかを常に学ぶことが大事である。
#煩悩 #煩悩菩提 #仏教 #悟り #驕り #奢り #怠慢 #傲慢 #おごりの心 #慈悲 #精神 #基礎 #初心

私の感想⇓

2022-09-25_142451

非常に大切な事を仰っていたので、【潜在的無意識の促しから】思わず書き留めた

愛の審査。良い言葉だな。

ただし、愛とか神とか善悪を飛び越えた先にある超宇宙的なものについては、考えるのではなく、感じなければならない。宗教だけで示すならば、知覚から【己で諭して悟る】という事。

社会は考える訓練ばかりに重点を置いて、感じる訓練が疎かにはなっている。この事は物質文明が栄えた大陸の影響が強い。

しかしながら、それによって合理という【義と秩序】も育まれ、二足歩行のヒトという生命価値としての自信を持たなければならない。

お金と人々の互換性

お金で何かモノを買う。

始まりの根本は、お金が何かの実体としての代用価値として、人々の中で実体が循環することで信用を勝ち取り、具体的な実体価値が無尽蔵化すればするほど、【代用価値=お金】でモノが買えるという利便性、合理性な意識として変換されて、それが当たり前としての常識化された社会秩序の中で産声あげた人々にとっては、具体的な実体価値の無尽蔵を一つのパッケージとしての代用価値としての【信じる意識】が、人々の仮想空間と実体空間の創造価値を育てて、それが時代における社会の文明を築いている。

【信じる意識】が、【何かを信じる事、何かを信じる己を信じて生きている】という人々の生き様である。よって、個々の生き様に対して、良い悪いの二元論であれこれ執着意識を持っても、最終的な出口は、個々の観念と悟りしかない。

しかしながら、仮想空間における価値も、実体空間における価値も、どちらかに過度に比重が傾く状態になってきた時は、人々の持続的可能性を前提とした【精神的、物理的な健康】は蝕まれていく事は間違いない。