私の日々アップデート言霊空間日記vol.7 2022 10/27 慈と愛と悲からのお便り
【私のハイヤーセルフから届いた慈と愛と悲からのお便り】
1.言葉の葉書一枚目
私の主観であり客観という思い込みなのか、私の客観であり主観という思い込みなのか、どっちがどっちかよくわからないし、何を言いたいのかわからないという先方の意見もあるとは思うが、結局は、人ひとりの愛の深さと大きさ次第ではある。
2.言葉の葉書二枚目
何も知らない無垢に対して火種が飛び散ると、欲望のバイオレンス化が起きるわけだが、日本はその峠は越えているし、そのエネルギーすらも無い。良くも悪くも拍子抜けして、食べるものがなくなったら、普通に道に生えている草木を食べているかもしれない。
3.言葉の葉書三枚目
日本は先天的な山と海に恵まれている国土である。萎縮してしまった土台に愛を与えれば、いろんなものが育つお国柄である。
4.言葉の葉書四枚目
空理空論の盲信による人々の信仰的欲望によって生まれた人工的真髄が、何かと何かを掛け合って(同一化)、更にそこに合理的利便性も相まって、価値の交換と置き換えによる思い込みが、カネという概念と文字という概念である。
5.言葉の葉書五枚目
我々は煩悩の塊として生きとし生けるものであり、それは光の中の闇でもあり闇の中の光でもある。この事に対して、ネガティブに解釈するのもポジティブに解釈するのも煩悩である事には変わりはない。この事を観念した母を拵えているかそうでないかで、慈愛と憐憫の大切さに直覚する。
6.言葉の葉書六枚目
慈悲深き思いやりの気持ちを大切にする壮大な母を抱き締めたところから、分子において、理解力と想像力であり、その力を常にアップグレードして活かすには、いろんな事を知って学んで経験した糧を、教養として根ざす以外にない。
【慈と愛と悲について、己でもっと深めようとするために参考にした動画】
第652回「空という真理に基づく慈悲」2022/10/20【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師
http://youtu.be/4X4ceAZkGLE
【私の風変わりな見解】
例えば、仮想という念いが、既 に仮想である。 そもそも、 仮想という 文字も言葉も仮を造形した像の示しで ある。
この世は、仮想であるという概念的意識によって、人々から解き放たれるシンパシーによって派生された空間認知から仮想であるという流動性を帯びたものであり、かといって仮想と固定されるものでもない。
光に照らされたら影ができるように、影においての現実なのか、実存においての仮想なのか、またその逆の実存においての現実か、影においての仮想か、互いが常に掛け合った無限の流動で、コロコロ変わっている。
一人ひとりの念い込みという大本の根っこは、全ての生命において、共存の平等精神を生まれる前から備わって生きとして生けるものである。
だからこそ、絶対的に変える事ができない唯一無二の尊い命において、宿命的煩悩から、慈悲の念や、慈愛の念が生まれる。
私の心に響いた御言葉
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澄み切った客観を体得して、無私になればなるほど愛は深くなり大きくなる。
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