古代日本は中国に占領されたPART2~漢字文化に抹消された真実

高橋良典(著)1994年7月 【太古、日本の王は世界を治めた!―神代文字が明かす消された歴史の謎】から抜粋 

謝辞 1995年12月にイルミナティの秘密中枢が日本のマスメディア・出版界から彼を密かに追放したため絶版となりました。

古代日本は中国に占領されたPART1~漢字文化に抹消された真実より続編

【日本解体】を目にした天武天皇の憤慨

これまで日本人は、中国の漢字文化を受け入れることによって、原始の日本が開明化したかのように教えこまれてきたが、それは果たして本当だろうか。実際は逆ではなかったか。中国の日本占領支配の実態は、目にあまるものがあったように思われる。壬申の乱に勝利して、中国の日本占領支配にいちおうの終止符を打った天武天皇も、国内の中国人に対し、憤慨してこう述べている【日本書記】天武六(677)年の条。

汝らのやからは、もとより七つの悪しきことを犯せり、…常に汝らは謀りごとをもって事わざとなす

つまり、中国人がいつも陰謀を企て、国家の解体をはかってきたことを天武天皇は糾弾しているのである。こうしたことはおよそ、戦争に敗北した国が占領軍に対して種々感ずることであろう。通常の日本人が、史上初の被占領体験と考えている第二次世界大戦後の約十年間にも、同様のことをアメリカに対して抱いたと聞く。いや、それ以上のものだったろう。被占領時にその国の歴史に根ざす貴重な遺産ともいえる言葉や文字を剥奪された例はたくさんあるし、戦勝国の文字を押し付けられた国は古今東西を問わず多くの実例で確かめることができる。しかし、である。まさか私たちの国にもこのような屈辱的な歴史があったとは、読者は夢にも思わなかったであろう。そう、日本は白村江の戦いに敗れて中国に占領され、漢字使用を押し付けられるなかで神代文字を喪失したのだ。

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稗田阿礼は神代文字の【通訳】だった

天武天皇は、二度目の被占領時の首相・吉田茂にたとえられるかもしれない。完全な再独立こそできなかったにしても、主権を回復はなしえたことと思われる。その一端が【古事記】の成立である。また、天武の即位後しばらくして【筑紫都督府】の呼称も消えている。ちなみに、さきにもふれた壬申の乱だが、通常、天智と天武は兄弟であり、この内乱は皇位継承をめぐって天智の子・大友皇子との間で戦われたとされている。しかし、そうした考えからは天智と天武の政策の違いが全く説明できない。そこに【歴史の闇の封印】が介在していることは明らかだろう。前述した系統の違いはその意味でも注目される。そして、これを詳述するには紙面に限りがあるため、ここでは皇室の菩提寺(京都の泉涌寺)に天武天皇の墓がないことだけをいっておこう。

さて、稗田阿礼が【詠み】それを太安万侶が漢字で書きとめてつくられたといわれる。【古事記】だが、私はなんらかの圧力(例えばそれ以前にあった日本の古代文字の記憶を漢字に改めるようかかった圧力)と、日本の解体を憂慮した天武天皇の意思とが相乗されて撰録(せんろく)されたと考えている。その証拠に【古事記】には、稗田阿礼が神代文字で書かれた記録を【読んだ】ものを安万侶が漢字に改めていったという意味合いのことがはっきり書かれている。例えば、安万侶自身が【古事記】序文でこう述べている。

そこで天皇(天武天皇)は阿礼に命じて、帝皇の日継及び先代旧辞を詠み習わせたり・・・・。

ここに天皇(持統天皇)は、帝紀及び旧辞の違いを正そうとして、臣、安万侶に命じて、阿礼が詠むところの先帝(天武天皇)の御命令になられた旧辞の類を撰録して差し出すようにと仰せられた・・・・。

つまり、安万侶は「阿礼が詠むところの帝紀・旧辞」を手がかりとして、【古事記】を編纂(へんさん)したのである。もし帝紀や旧辞が漢字で書かれたものであるなら、漢文の達人だった安万侶がそれを自分で詠めば済むことで、わざわざ阿礼の口を借りる必要はないはずだ。これはどういうことを意味するのか。そうだ【古事記】のもとになった*【帝紀】【旧辞】は、阿礼には詠めても安万侶には詠めない文字、つまり日本の古代文字で書かれていたのだ。そして、阿礼は神代文字で書かれた記録と漢文の橋渡し役、いわば通訳として安万侶のために働いた、ということではないか。記憶力抜群といわれた阿礼は「詠み習ったもの」を記憶した。しかしそれは、神代文字で書かれていたものを詠んで、それを記憶にとどめたということなのだ。正史編纂という国家の重大事業にあたって、おそらく阿礼は、神代文字で書かれた【帝紀】【旧辞】を暗読するぐらい念入りに詠み、それを丁寧に安万侶に詠んで聞かせたものと思われる。

*聖徳太子(574~622)が編纂したとされる【天皇記】【国記】などに関連する名のみ残る史書。【旧辞】は【先代旧事本記】(せんだいくじほんぎ)ともされる。

ヒエタノアレモコロサレキ~知りすぎた男の悲劇

こうして日本人は、八世紀の初めに【古事記】【日本書紀】というかたちで、漢字に置き替えられた日本の歴史書をもったが、そのもとになった【帝紀】【旧辞】などの書物、あるいは日本に古くから伝わる固有の文字で書かれた由緒正しい歴史の記録を失うことによって、本来の日本人がもっていた自由な精神や創造的な見方さえも失ってしまったのではないか。私がこのことを痛感するのは、ほかでもない。宮崎県の高千穂で見つかった碑文(郷土誌【すみのえ】104号所収)を私なりに解読した結果、そこに以下のような恐るべき一文が刻み込まれていたことを確認したからである。

【ヒエタノアレモコロサレキ】(稗田阿礼も殺されき)

この短いが驚くべき一文について、説明は要すまい。稗田阿礼は【古事記】の完成した712年後のある日、突然、何者かの手によって暗殺されたことえを、この高千穂碑文は物語っているのである。もしこのことが事実であるとしたら、彼の死は、日本の古代文字資料に記されていた真実の歴史が、闇の力によって葬られたことを意味するのである。そして、このことはまた、そのような力がつい最近まで、全ての日本人の無意識に働きかけ、私たちの歴史解明の努力を歪めてきたことをも意味している。【古事記】【日本書紀】が日本の古代文字で書かれず、漢字を使って書かれた背景には何があったのか。日本人の言葉と歴史が漢字に置き替えられたとき、そこにはどんなトリックが用意されていたのか。稗田阿礼は、その秘密をあまりにも知りすぎたために消されてしまったのではないだろうか。おそらく阿礼と同じ運命にあった者は一人や二人ではなかったろう。「稗田阿礼も・・・・・」と記述からそれを察することができる。

ベールに覆われた日本人の祖先の歴史

私は漢字以前の日本の古代文字の存在について検証してきた。日本には漢字以前に文字がなかった、という定説がなぜつくられてきたのだろうか。それは、この高千穂碑文の解読結果、「稗田阿礼も殺されき」という言葉によっても推測されるように、意図的に日本の過去の歴史が消されていった事実を示しているのだ。時の権力者、この場合は中国【唐】の日本占領の指令によって、日本古来の文字を使うことが禁止され、占領国の文字【漢字】を使用することが強制されたのである。

とはいうものの日本は古い国である。古代の【残存遺物】は多く残されているし、【古史古伝】と呼ばれる【紀元前の書】にも伝えられている。これらの文書は、もちろん日本の古代文字で書かれていたに違いないが、古代文字の使用が禁止されたあとは、漢字を当てはめて書き写され、伝えられてきた。【古史古伝】が偽物、偽書とされる理由は、その内容が記紀と異なる部分が多い事にある。しかし記紀の記述が100パーセント正しいという証明はなされていない。

【魏志倭人伝】に記述されている邪馬台国や、その女王の卑弥呼について、記述は一言もふれていないではないか。逆にいえば、【魏志倭人伝】を中心にみるなら、記紀こそ偽作、あるいは偽書だという疑いすら出てくる。まして、【古史古伝】には、ほぼ共通したテーマ、あるいは目的のようなものがある。それは、そのほとんどが古代の権力闘争に敗れた側の豪族に伝わった文書というかたちをとっていることである。戦争に勝利した新しい権力にとっては、これらの敗北者の過去の歴史は抹殺の対象になるべきものであったに違いない。だからこそ、文書を保存しようとする敗者の側は、さまざまなカムフラージュを施すことになる。したがって、後世の私たちが読むと、難解で奇想天外な話として映り、それが歴史的事実だということがわからなくなってしまいそうになる。しかし、それは史実でないようなものに変えて伝えたために、そうなってしまった、と受け止めるのが正しい見方であろう。だとすれば、【古史古伝】を読む場合は、意図的になされたカムフラージュのベールを一枚一枚丹念に剥がしていけばよいわけである。するとそこには、消されたはずの私たちの祖先の歴史が、白日の下に晒らされるに違いない。

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つづく

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古代日本は中国に占領されたPART1~漢字文化に抹消された真実

高橋良典(著)1994年7月 【太古、日本の王は世界を治めた!―神代文字が明かす消された歴史の謎】から抜粋 

謝辞 1995年12月にイルミナティの秘密中枢が日本のマスメディア・出版界から彼を密かに追放したため絶版となりました。

神代文字を抹消した恐るべき【黒い勢力】がいた

奈良時代以前の日本に文字があったことは、文献にもはっきり書かれているし、遺物にもはっきり刻み込まれている。従って、文献と遺物の両方から、日本に古代文字があったことはすでに立証済みである。にもかかわらず、そのことがこれまで周知の事実とならなかったのは何故だろうか。古代史の権威が口をそろえて神代文字を否定したり、日本の古代文字を無視してきたのは一体何故なのか?ここには私たち日本人の全てが、未だにその真相をつかんでいない歴史上の大きなトリックがあるように思われる。これまでの権威すらも飲み込んでしまう歴史上のブラックホールのようなもの、つまり私が先に漢字の呪縛と名付けた、私たちの目に見えない巨大な意思が存在し、この恐るべき力が日本の古代文字資料を抹消して奈良時代以前の歴史を封印してきた背景があるように思われるのだ。その恐るべき正体とは何か。

私たち日本人の奈良時代以前の歴史に、誰が考えても異常としか思えない巨大な空白をもたらした力の正体とは何か。日本古来の文字で書かれた文献を奪い取った途方もない勢力とは一体なんだったのか。私には、その力の正体がどんなものであったのか、今のところ全てを正確に述べることはできないが、一つだけはっきりしていることは、その勢力が今から1370年ほど前の大化の改新645年と白村江の戦い663年の時代に、日本海周辺のほぼ全域に台頭し、それまでの日本にあった固有の文字と文化、王家と有力氏族の記憶をほとんど消し去ってしまったということである。

私たちはこれまでの教育のなかで、日本は滅亡に瀕した百済の請いを受けて唐・新羅の連合軍と白村江の戦い、手痛い敗北を喫したあとは連合軍の侵攻を恐れて都を近江に遷したとしか教わっていない。いわんやその戦いに敗れたときに、そのまま日本が唐の軍隊に占領されたことを、そして、この時代以後につくられた日本の都城や古墳の設計単位が、それまでの高麗尺(唐によって滅ぼされた高句麗の尺度)から、唐尺に全面的に改めさせられたことなどは一度も教わっていない。従って、この時期の中国東北部と朝鮮半島、日本を占領した中国の軍隊が、この地域に伝わる固有の文字資料をことごとく抹消し、漢字で書かれたもの以外は絶対に後世に伝えないようにした、などということは考えたことすらなかったはずである。

中国の日本占領GHQは大宰府に置かれていた

古代の日本が663年の白村江の戦いに敗れたあと、中国の占領支配をうけたとは【日本書紀】の天智天皇の条のなかにそれとなく記されている。すなわち、天智四(665)年の記事では、この年、日本へやってきた唐の使節団の人数が254人であったが、同八年と九月には2000人に膨れ上がっている。天智八年十二月の条である。

……大唐、郭務悰等二千餘人を遣して來らしむ。……

敗戦後の日本へ二千人という大量の使者が続々とやってきたのは異常といわなければならない。このことは、唐の使者がただの使者ではなく、占領軍司令部の要員であったことを暗示しているのだ。また、天智六(667)年に記事によれば、この年には、すでに九州の大宰府が【筑紫都督府】という呼び名に変わっているが、この都督府という表現は、唐の軍隊が高麗と百済の都をそれぞれ占領したときに【平譲都督府】【熊津都督府】と称した例をみてもわかるように、隣、中国による日本占領支配の拠点となっていたことは明らかである。いってみれば大宰府が、第二次世界大戦に皇居前の第一生命ビルに置かれたマッカーサーの占領司令部(GHQ)と同じようようになっていたのである。そして、戦後の日本が英語使用を強要されたのと同じく、いやそれ以上に、白村江の敗戦後の日本は、全面的な漢字使用を強制されたのだ。

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天智天皇はこの年の春、近江京に遷都し【漢字使用令】を出した。こうして近江京の文化が漢字文化そのものであったこと、そして、天智天皇と天武天皇に代表される勢力が672年の【壬申の乱】で激しい死闘を演じたことなどは、これまで、この時期の中国による日本占領支配とのかかわりのなかで論じられたことはなかった。この問題については、ごく少数の学者が天智天皇は百済系で天武天皇は新羅系または高句麗系であったということを述べる程度にとどまり、白村江の敗戦後、日本と朝鮮、中国東北部にまたがるかつての高句麗王国が解体したことや、その後、壬申の乱を機に高句麗の旧領に渤海・新羅・日本の三国が唐の承認を必要とするかたちで成立したことなどは論じられていない。しかし、この時期の唐帝国の周辺を見渡せばわかることだが、この頃からインドと日本を結ぶ南海ルートの影が薄くなっていく。つまり、私流にいえば、インド以東のアジアには漢字以外の文字文化が、それ以前にはなかったような印象が強くなる。

七世紀初めに隋のヨウ帝が率いる百万の大軍と戦ってこれを退け、ついに隋を滅ぼす糸口をつくった高句麗は、668年唐によって滅ぼされるまで、700年以上もの歴史を誇っていた古い国であるが、このような国にさえ固有の文字で書かれた記憶はなかったことになっている。秦・漢帝国以来の中国の王朝が、周辺諸国に自らの漢字文化を押し付け、中国の宗主権を認めない国を侵略して、その国の文字文化を破壊したことは、中国の史書に王家の記憶を没収した記事がたびたび登場することをみても確かだ。このような中国の支配者による歴史抹消の手口、すなわち漢字以外の文字で書かれた他民族の記憶を抹消し、そのことによって他民族を中華帝国に従属させていくやり方の最も顕著な例が秦の始皇帝による【焚書坑儒】だ。中国における漢字の成り立ちを調べても、漢字の中には、それ以前に大陸の各地で使われていた日本の古代文字を並び替え、それによって元の意味を消し去る手法で新たにつくられた例がいくつかあることが確認できる。だが、何故そのようなことをしたのか。おそらくそれは、神のように崇高で、そして悪魔のようにデンジャラスな超科学的宇宙が緻密に記載された古代文字そのものの意味を根本から封印しなければいけなかった。

つづく