今回の衆議院選挙を*生類憐れみの令で斬る!!

どうもスメラミコトです。。

今回の衆議院選挙を

*生類憐れみの令で斬る!!

*生類憐れみの令といえば、歴史上でも名高い悪法として知られていますが、実際の内容は殆ど理解されていないのが実情です。
犬のイメージが目立ちますが、実際には「人間の子供、老人、病人などの保護」の方が全国的にはより重要な扱いでした。
なお綱吉本人は特に犬好きではなかったようです。犬関連の法令が増えたのは、江戸などの都市部で、野犬や飼い犬に関する問題が多かったための模様。
「人を殺すなんてとんでもない」という風潮ができたのは、この法律ができたあとのことです。人を殺すのはとんでもない悪事であるという意識の中に、われわれ現代人は生きています。我々の日常的な倫理の中に、そうした意識は深く根を下ろしています。
ところが戦国時代は、人を殺すことが功名だという意識をもって、世の中は動いていました。日本人の意識の大転換が起こったのは、実は綱吉の時代なのです。
つまりは、今も根強く日本人の倫理観(お人好し)を逆手に利用したのが、民主主義という美辞麗句を寡頭支配(ファシズム)の寡頭(マイノリティー)のための都合の良い装飾に躍らされて、あたかも民主主義という盲目的妄信に気がつかないのが我々一般の日本人である。(白痴&無知無関係)
そして、今回の選挙結果(民主主義という猫を被った今の国家権力)に対し、それは不正だ、というような批判の方法は何ら意味はない。
なぜなら、彼らは、合法的に、われわれ人民を抑圧するからである。
たとえば、不正選挙だとか妄想を語らせる選挙も大衆に対する合法的な抑圧手段である。
不正でなくても、選挙そのものが、原理的に少数意見を排除する合法的な制度であることを、何ら疑うことのない民主主義者がいたら、それは、民主主義者でもなんでもなく、選挙制度の盲信者に過ぎず、純粋な民主主義者でも何でもなく、迎合主義な操り人形に等しい。
国家権力の細かな現象を不正だ、と指摘する批判スタイルも脆弱である。
なぜなら、それは、善を行う国家がどこかにあるだろう、という想像上の政治思想(お人好し主義)だからである。想像上の政治思想(お人好し主義)などは、滑稽で脆弱であると批判されても何らおかしくない。
国家は悪である、という基本の認識であるからこそ、立憲主義の意味がある。
それは、たとえ、選挙中は、人民の味方を装う政党が政権党として存在したら、その人民の味方を装うとする政党を監視するのが、立憲主義である。
選挙とは、アリストテレスが言ったように、寡頭制でしかない。
事実、日本の選挙は供託金が必要である。

寡頭しかいないではないか。カネさえあればOKみたいな、、、中身(大義)無しの魂の抜け殻連中。
そのようなまさにストレートな寡頭制である選挙に民主主義をみてしまうのは原理的な思考ができていない証拠である。
つまりは○越も寡頭ブルジョアジーの断片でしかない。そのようなブルジョアジーに民主主義を期待するほうが「貴族趣味(憧れ、期待)の腐敗=骨の髄まで搾り取られて、使えなくなったらポイみたいな」である。
💞バイ愛~Thanks💞

★To be continued★

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