実在の歴史がアナグラムによって神話化~デカン高原に日本人の祖先がいた!?

高橋良典(著)1994年7月 【太古、日本の王は世界を治めた!―神代文字が明かす消された歴史の謎】から抜粋 

謝辞 1995年12月にイルミナティの秘密中枢が日本のマスメディア・出版界から彼を密かに追放したため絶版となりました。

アナグラム(anagram)とは本当にあったことを神話化するために、事件にかかわるすべての固有名詞のつづりを入れ替えてしまう手法である。このアナグラムは、古代世界のどこでも、実在の歴史を神格化する手法として頻繁に使われた形跡がある。

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※ちなみに、すでにある単語や文に含まれる文字を並べ替えて別の単語や文を作るという【アナグラム】と、AからZまで機械的に並んだ文字列を並べ替えて文を作るという【パングラム】とでは、アナグラムよりも難易度はかなり上がる。
Wikipedia引用
文字列を逆順にして一致するかどうかを調べればよい回文とは異なり、単純に考えて異なるN種類の文字列ならNの階乗通り(例えば5文字なら120通り)の並べ替えが可能なので、意味のあるアナグラムを一瞬で見つけるのは困難である。逆にそれだけの可能性があるため、たいていの言葉は(強引な意味づけをすることで)アナグラムになりうる。
例えば「アナグラム」から「グアムなら」などのアナグラムを作ることができる。
日本語では清音と濁音・半濁音が同一視されることがあるが、アルファベットの場合 “I” と “J”・”U” と “V” が同一視されることがある。促音や拗音は全て直音として扱うことが多い。アナグラム→グアム・奈良(先述にもある) ウィキペディアン→北京で言い合う(ペキンディィアウ) 阿藤快→加藤あい パラグアイ→バイアグラ(濁音と半濁音を同一視)いろは歌 いろは歌は仮名47文字を並び替えて意味のある文にしたものであり、五十音をアナグラムしたものともいえる。

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古代のギリシアでは、この地がかつてエジプトの支配下にあったことを隠すため、エジプトのテーベで起こった事件をギリシアで起こった事件として伝え、それにかかわる地名や人名をすべてギリシア化してしまった。その典型的な例が、テーバイ(テーベ)を舞台としたオイディブス(アメンホテップ四世)の物語である。世界で馴染みのあるギリシア神話は、かつてエジプト人が地中海一帯で活躍していた頃の実際の歴史から、時間と空間の目印を剥ぎ取り、歴史上の人物からその人が活躍した時代と場所の記録や本人の実名を消し去ったものが中心的なテーマになっている。

古代ギリシアの新しい支配者が何故このようなアナグラムを用いて過去の歴史を神格化したかといえば、それは、すべての記録を抹消してしまえば、自分たちの祖先に関する記録をも同時に失うことになるからである。賢明な支配者であれば、そんなことをするより、このアナグラムを使って歴史を神格化する方法を選んだであろう。つまり、彼らはこのアナグラムによってエジプトの歴史を神格化する一方で、過去の歴史を関係者だけが知りうる手がかりとして【神話】を残したのである。

漢人(アッシリア人/アーリア人)の歴史の闇の封印とは趣を異なるが、同じく歴史の書き換え(すり替え)だといっていい。そして、古代の日本でアナグラムが用いられた動機こそ、その封印(あるいはその圧力)であったのである。だが、結果は同じだ。実際のアナグラムによって神格化されてしまうと、過去の生々しい記憶は薄らぐものの、本当のことはアナグラムを適用した関係者以外にはなかなかわかりにくくなっている。もしもアナグラムを用いたこと自体が忘れ去られてしまえば、神話はあくまで神話としてしか理解されない。そして古代日本のアナグラムでは、a・i・u・e・oの母音が必要に応じて入れ替わって、更に好き勝手に漢字をあてはめるので、元の存在とは似ても似つかないことになっている。

*【新撰姓氏録】は我々の家来由来記、いうならば日本人の出生地証明である。【姓氏録】の「山城国(京都府)諸審」の項にこう書かれている。

*平安初期に嵯峨天皇(在位・786~842)が万多親王らに編纂させた日本の有力氏族の家系由来記である。

八坂 造 出自狛国人久留川麻乃意利佐他

わかりやすく説明すれば、京都の祇園祭で名高い八坂神社の八坂氏は、インドのオリッサ(意利佐)からタイのチェンマイ(川麻乃)、中国・江南地方の呉(久留)を経て日本に渡来したクル(カラ)族、つまり高麗人だと記されているわけだ。また、学問の神様として有名な菅原道真を生み出した天神族が、かつてデカン高原のボーパールやインドール、ウジャインの町に住んでいたことは、穂日(ほひ)夷鳥(いどり)、鵜濡渟(うじゅぬ)といった天神族の祖神の名前として伝わっている。そうした流れの中で、さきの八坂造がインドのオリッサからチェンマイを経由して来たことを読み解くのに、意(オ)利(リッ)左(サ)、川(チェン)麻(マ)乃(イ)を当てたことは容易に判断できる。

私たちはインドというと今でもずいぶん遠い国のように思っているが、実際には、とても身近な国だといっていいのである。例えば本邦映画史上最長のシリーズとなった柴又の寅さんの映画。日本人なら誰でも一度は見たことがあるはずだが、その寅さんの生まれ故郷、東京は葛飾の矢切りの渡しのすぐそばに帝釈天がある。この帝釈天が【マハーバーラタ】や【ラーマヤナ】に登場するインドラ神であることを私たちはすかっり忘れてしまっているが、帝釈天の帝釈は、インドの別名シャクラデーヴァのSakradevaのrとvの音が脱落し、母音のaがuとiに、子音のdがtに変わったシャクテイsakuteiの、その語順がtei-sakuと入れ替わったものに帝・釈という漢字を当てはめて、あとでタイシャクと読むようになったものだ。

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日本に何百万人もいる鈴木さんの祖先がインドのマガダ国( *1)からやってきたことを、鎌倉時代に書かれた【源平盛衰記】(*2)は、次のようにはっきり述べている。

ウイ、ススキ(鈴木)党と申すは、権現(ごうげん)、摩伽陀国(まがだ)より我が朝へ飛び渡り給ひ(い)し時、左右の翔(つばさ)と為(な)りてわたしによりて、熊野をば吾(わ)がままに管領(かんれい)す。

(*1)古代インド、ガンジス川中流域に興り、紀元前4世紀にマウリヤ朝のもとにインドを統一。前1世紀に滅亡。
(*2)全48巻の軍記物。作者未詳。鎌倉後期以降に成立したとされる【平家物語】の異本の一つである。

【姓氏録】ほかの記録は、日本とインドを結ぶ私たちの祖先の移動ルートに沿って、祭りの習慣や衣・食・住の伝統、言葉、血液型、古墳文化、巨石文化のあり方などに共通点がみられることで、ある程度まで裏づけることができる。

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