ハンナ・アーレント「国民国家の没落と人権の終焉」ノート

2016-06-05_211230

■無国籍という無権利のままの〈人民〉の放置

「ネーションの基礎をなしていた民族―領土―国家の旧来の三位一体から諸事件によって放り出された人々は、すべて故国を持たぬ無国籍者のま まに放置された。国籍を持つことで保証されていた権利を一旦失った人々は、すべて無権利なままに放置された。第一次世界大戦以来現実に起ったことは何一つ 修復されず、不幸は何一つ阻止されなかった、再び世界大戦が繰り返されることすらも。事件はどれひとつとっても破局に等しい性格を持ち、そしてすべての破 局は最終的破滅だった」

■失業・無国籍・故郷喪失(故国喪失)

(第一次大戦後)「失業、無国籍、故国喪失に陥った人々は数百万にのぼったにもかかわらず、これらの状態はその他の点では正常な世界におけ る変則状態とみなされた。その結果、犠牲者も傍観者もともに、正常な手段をもってしては増大する変則状態を正常化することは不可能だと見て、高慢とも無邪 気とも言えるシニシズム(冷笑主義)をもって、事態の進行を世の常の成り行きとみなす傾向が生じた」

「このような崩壊の雰囲気が両世界大戦聞のヨーロッパ全体を覆っていた。しかしそれが一層色濃く感じとられたのは戦勝国より敗戦国において であり、それがはっきりと形にあらわれたのは、オーストリア=ハンガリアと帝政ロシアの解体後に平和条約によって新たに設立された国々においてだけだった と言えよう。この二つの多民族国家の中央集権的官僚制は、それまで「多民族の混在地帯」を曲りなりにもまとめてきたし、またそこで貯えられた憎悪の集中的 対象となる役目も果してきたが、この両帝国の滅亡ののち、東欧および南欧の民族問題は初めてヨーロッパ政治の中心に躍り出ることになった」

■チェコスロバキアにおける故郷喪失者たち

(チェコスロバキアでは)「例えばスロバキア人は、事実上(デ・ファクト)の国家民族(法律上(デ・ユーレ)のではないにしても)である チェコ人と、スロバキア地方で小さな少数民族をなすハンガリー人とのどちらを余計に憎んでいるか、自分でも分らないほどだった」

「一方には少数民族、他方には無国籍者と亡命者というこの二つのグループの状態の異常性は、彼らがいかなる国家によっても公式に代表されず 保護されないという点にある。従って彼らは、少数民族の場合のように例外法規のもとに生きるか――この例外法規は少数民族条約として国際的に保証され、関 係諸政府によって散々文句をつけられた(チェコスロバキア政府を例外として)末に調印されたものである――、あるいはこのような国際的規制が不可能な無国 籍者のように、一切の法律の埒外に立たされて人々の寛容にすがって生きるかしかなかった」

■人権概念の〈意図的没落〉=現実の冷笑的容認

「『黒色兵団』Schwaze Korps〔SS の機関紙〕は1938年読者に向かってはっきりと論じている。すなわち、ユダヤ人が人間の屑(scum of the earth)であることを明らかにまだ信じられないでいる世界は、いずれユダヤ人が金も国籍もパスポートもなしに群をなして国境を追われるようになれば きっと目が開くだろう、というのである。既成事実というこのプロパガンダが、あらゆるプロパガンダ的演説を束にしたより優れた速い効果を挙げ得ることは明 白だった。なぜならこの方法によってユダヤ人を現実に人間の屑とすることができたばかりでなく、大局的に見れば全体主義支配にとって比較にならないほど重 要なことだが、無実の人々が蒙った前代未聞の危難の見本を示すことによって、不可侵の人権などというものは単なるお喋りに過ぎず、民主主義諸国の抗議は偽 善でしかないことを、実際に証明することにも成功したからである」

「「人権」という単なる言葉は、全体主義国と民主主義国と/を問わずあらゆる国で、犠牲者と迫害者と第三者とを問わずすべての人にとって、 同じように偽善的あるいは精神薄弱的な理想主義の権化となったのである」

■少数民族と無国籍の人々

「政治的事件そのものの副産物だった無国籍者と異なり、少数民族は、国民的解放の原理である民族自決権をすべての民族集団とすべてのヨー ロッパ諸国に拡大することを約束した1919-1920年の平和条約の結果である。東欧および南欧を新たに編成し直すべきこの制度の精神からすると、少数民族は新組織の中に全く落着き先の見出せない惨めな残り滓だった。国 際連盟によってその遵守が保証された少数民族条約は、新たに成立した国々と少数民族とのあいだの一つの妥協策をなしていた。西欧諸国を手本として形成され た新しい国々は当然ながら自国内の少数民族を同化するか消滅させるかしたいと願ったのに対し、少数民族自身は自分たちも同様に国民的解放を志しながらも、 独自の国民国家を作ることも自分たちの民族の仲間が多数を占め国家民族となっている地域に編入してもらうことも実際的・政治的理由から認められなかったか らである。この妥協策が前提としていたのは、少数民族が自分たちの身分に満足して今後は政治的要求を出さないこと、言い換えれば、少数民族条約制 定の精神からすれば当然に民族自決権を与えられて然るべき民族として振舞ったりはしないということだった。そのため人々は少数民族の定義に当って決して 「ナショナル」という語を使わないように心掛け、「人種的、宗教的、および言語的少数派」という定義で押し通そうとした」

領土調整が諸民族の要求を満たし切れなかったところでは少数民族制度がとられることになったと述べているが、この指摘は正しい。ただ不幸だったこと は、少数民族は例外的場合にのみ存在したのではなかったことである。東欧および東南欧の領土調整は、どの地域も多数の民族から要求されたためにどこでも恣 意的なものになってしまったのである」

■典型的な少数民としての「ユダヤ人」とネーション・モデル

「この地域(=ヨーロッパ諸国のこと:引用者)の壮大な民族混合の中で永久的少数民の身分に満足するつもりがあったのは明らかにユダヤ人だ けであり、そのうえすべての国で少数民[族]条約の保護を受けたのもユダヤ人だけだったため、ユダヤ人は “minorite’ par excellence”(典型的な少数民)となり、条約自体が広範囲に彼らの要求に合致するようにつくられてしまった[※]。少数民をユダヤ人のモデル に合わせて定義したことは、少数民という言葉に新解釈の可能性を与えるという更に重要な/利益をもたらした。これまで少数民とは、同民族の多数者から切り 離された小集団であると理解されており、従って民の多数者の住む国家が他国領土内の自民族の少数者を可能な限り保護しようとするのは当然であると考えられ てきた。今やしかしあらゆる外交的困難を避けるために、人々は少数民族に対し、彼らが今住む国の多数派民族に対する少数派となれと要求したのである」

※:「Macartney, C.A., 1934. National States and National Minorities. London: Oxford University press. は今日なおこの問題についての標準的著作であり、「ナショナル」という不吉な言葉が少数民族条約から取除かれるまでにいかに煩雑な交渉と協議が必要だった かを詳細に述べている」

■民族自決権の〈容認の臨界〉

「ヴェルサイユに会した政治家たちをこの宿命的な実験に迷い込ませたものは、ドナウ王国の解体とロシア支配からのポーランドおよびバルト諸 国の解放の後に生じた政治的真空状態ではなかった。いずれにせよこれは第一の原因ではない。よりにもよってこの解決策を採らせた決定的理由は、一億もの ヨーロッパ人(大陸の全人口のほぼ四分の一)に民族自決権をこれ以上拒み続けることが不可能だったことである。植民地の諸民族でさえすでに民族自決権 (self-determination)を要求し、原則的には認められるに到っていた時代である。根本的には、ここで解決を迫られていたのは、西欧諸国 も全く異なった形ではあったにせよ全然知らないではなかった第一級の重大問題、すなわちこれまで抑圧されてきた政治的受難者のグループすべての真の解放 だった。これらのグループは国民国家においてはプロレタリアートの名のもとに一括されており、東欧と南欧のいわゆる「歴史なき諸民族」(オットー・バウ アー, 1907)はこれらの人々と多くの点で対応していた」

【註】「歴史なき諸民族」(オットー・バウアー, 1907)は「その根拠として、歴史的に見れば国民的意識の覚醒は事実つねに歴史的意識 の覚醒と密接に結びついていることを述べている。さらにこれと関連するのは、民族言語の発達はつねにその民族の国民的成熟を示す指標となることである。こ の点でも東欧の諸民族は意識的に西欧諸国の発展を模倣した。西欧諸国の成立は確かに民族言語の文学的成熟と、書き言葉のラテン語と(後には)フランスの解 放と同時期だった。この模倣の結果は、国民的解放運動が注目すべきことに大抵は言語学上のルネサンスをもって始まったことである。このルネサンスは政治的 関心によって惹き起されたためにしばしば奇妙な果実を生みはしたが、全体としては非常に実り豊かだった。「歴史なき」群小民族の学者たちにとっては、自分 たちが歴史と文学を持ち、それ故に民族独立を主張する資格があることを立証するのが第一の目的だったのである」

■国民国家の臨界

「ヴェルサイユ条約によってなされた規制の結果から明らかになったことは、ヨーロッパの現状の維持をも回復をも不可能にした多くの原因の一 つが、西欧の国民国家体制は全ヨーロッパに拡大し得ないものであるという点にあることだった。つまりヨーロッパは150年以上にもわたって、全人口のほと んど4分の1については適用不可能な国家形態の中で生きてきたわけである。国民国家の原理の全ヨーロッパでの実現は、国民国家の信用をさらに落とすという 結果をもたらしたにすぎなかった。国民国家の原理は該当する諸民族のごく一部に国民主権を与えたに止まり、しかもその主権はどこでも他の民族の裏切られた 願いに対立する形で貫徹されたため、主権を得た民族は最初から圧制者の役割を演ずることを余儀なくされたからである。被抑圧民族のほうはほかならぬこの規 制を通じて、民族自決権と完全な主権なしには自由はあり得ないとの確信を強めた。従って彼らは民族的熱望を踏みにじられたばかりでなく、彼らが人権と考え たものまで騎し取られたと感じた。そして彼らのこの感情の最大の支えはフランス革命だった。フランス革命こそ本来は国民国家の伝統を、それも国民主権と人 権の享受とを等置することによって築いたものだからである」

■少数民族のネーション

「(少数民族=246頁)会議は国家民族としても少数民族としても認められていない「ナショナル・グループ」と組織上連携したため、これら の諸民族を合わせると比較的小さな国家民族より数の上で遥かに強大な集団となった。数千万のヨーロッパ人からなるこの集団が共通の利害によって結ばれてい たことは否定すべくもなく、この共通の利害を基盤として彼らは少数民族会議を議会とす「少数民族のネイション」を形成したのである」

「この新しい矛盾に満ちたネイションは短命に終らざるを得なかった。このネイションを統一させていた紐帯は形式的規約であり、それは全く相 異なる民族グループの間の政治的、実質的連帯たり得なかった。少数民族をこの会議にまとめる役を果したのは事実上はドイツ人とユダヤ人であり、このニつの グループはほとんどすべての新設国でよく/まとまった少数民族をなし、その代表は数の上で一番多かった」

「言い換えれば、ナショナルな民族的利害が貫徹され、領土の枠を超えた組帯を形成し、この危険な超領土的関係をこそ解消すべく作られた少数 民族条約の諸条項から完全に自立してしまったのである。一つの会議への組織化によって、少数民族は彼らの保護のためにあれほど精巧に築かれた全制度に対し 自ら解体を宣したのだった。彼らが自分の民族が多数を占める国家の少数民族としての/自覚を持ち、自分の住む領土の少数民族とは感じていないことが最も決 定的に表明されたのは、ユダヤ人代表団がヒトラーの政権奪取後ドイツ帝国内のユダヤ人の処遇に抗議することを要求したときだった。」

「ヴァイマール共和国の時代にはつねにユダヤ人と手を携えてきたドイツ少数民族の代表は、今度は断乎として決議案に反対し、公然と新ドイツ 政府との連帯を表明し、その彼らに会議の多数が同調した(〔反ユダヤ主義はすべての継承国家で完全に発展していた〕)。「典型的な少数民族」を代表するユ ダヤ人代表団は会議を去り二度と戻らなかった。この決定後も会議は外見上は生き残りはしたものの、政治的意味を完全に失ってしまった。こうして少数民族が 余りにも明白に示したことは、彼らは国際連盟の保護を信用せず、場合によっては自分たち自身の国際的保護組織をすらあえて叩きこわし、普から列強が世界中 に散在する自分たちの民族グループのために使ってきた古い保護方法に再び頼ろうとする、うことだった。/国際連盟という一つの国際的機関による権利保証と いう新しい要素を初めてヨーロッパ政治の中に導入した実験は、こうして終りを告げた」

■国民国家の内部崩壊

「ネーション(国民)による国家の征服というこの発展がつねに国民国家に固有の危険だったことは疑問の余地がない。この国家形態は同時に立 憲的政府の樹立を意味し、本質的には怒意的専制支配に対立する法の支配に立脚しているのであるから、この危険はとりもなおさずこの統治形式にとって致命的 なものだった。ネーションと国家の聞の、人民の意志と法の間の、ナショナルな利害と法的諸制度の間の、つねに不安定な均衡が破れ、デマゴギーに煽動され易 い人民の意志や、つねにショーヴィニズムに傾き易いネイションや、もはや真の国民の利益ですらない利益が力を得るようになると、国民国家の内部崩壊は非常 な速さで進行するようになる」

■少数民族の保護が必要だという主張と、その幻想の崩壊:無国籍者の存在

「継承国家にのみ国際的監視のもとに立つ義務を課した少数民族条約の生みの親たちは、まだ次のように主張することができた。すなわち、既成 のヨーロッパ諸国は明確に表現しているにせよ(ユダヤ人が少数民族のモデルであったようにフランスは国民国家のモデルだったが、そのフランスの場合のよう に)、暗黙のうちにせよ、人権宣言に立脚した憲法によって守られており、従って異なる民族グループの法的保護が必要なのは新しく設立された国家のみだとい うのである。この幻想に終止符を打ったのは無国籍者だった」

■少数民族と無国籍

「少数民族は厳密には無国籍ではなかった。彼らは法的には少くとも一つの国家組織に属していた。ただ普通ならば市民権を持つことで保証され るある種の権利を享受するために、補足的な法的保護と特別な保証を必要としたのである。しかしこれらの権利はすべて文化的な性質のもので、自民族の言語を 使用する権利、独自の学校やその他の社会的、宗教的、文化的制度を持つ権利などだった9 居住や労働の権利のような本来の基本権は少数民族条約では考慮されていないが、その理由は、これらの権利までも異民族グループに拒まれることがあり得ょう とは誰も予想しなかったからである。少数民族条約の起草者たちはまだ強制的集団移住を知らなかったし、また世界中のどこの国にも居住権を認められないため に「移送不能」となるような人々の群がヨーロッパに生れ得ようとは思いも及ばなかった」

■無国籍

「無国籍ということは現代史の最も新しい現象であり、無国籍者はその最も新しい人間集団である。第一次世界大戦の直後に始まった大規模な難 民の流れから生れ、ヨーロッパ諸国が次々と自国の住民の一部を領土から放逐し国家の成員としての身分を奪ったことによってつくり出された無国籍者は、ヨー ロッパ諸国の内戦の最も悲惨な産物であり、国民国家の崩壊の最も明白な徴候である。18世紀も19世紀も、文明国に生きながら絶対的な無権利状態・無保護 状態にある人間を知りはしなかった。第一次世界大戦以来、どの戦争もどの革命も一律に権利喪失者・故国喪失者の大群を生み出し、無国籍の問題を新しい国々 や大陸に持ち込むようになった。過去25年間のあらゆる国際会議にこれほど執拗に姿を現わし、しかも満足すべき解決の見通しが全く得られなかった問題は他 に類がない」

■難民収容所の起源

「理想主義者たちが、最も繁栄する文明国の市民しか享受していない諸権利を相も変らず奪うべからざる人権と主張じている一方では、無権利者 の状態は同じように相も変らず悪化の一途を辿り、第二次世界大戦前には無国籍者にとってまだ例外的にしか実現されないおどしだった難民収容所が、ついには “displaced person”(=流民・強制追放者)の居住地問題のお極まりの解決策となってしまった」

「いろいろの悪意が横行していたことは戦争中の雰囲気を考えれば容易に理解できるにもかかわらず非全体主義国は概して大量送還を避けたた め、戦争終了から十年の後には無国籍者の数はかつてなかったほどに増大していた。無国籍の問題を無視することで解決しようとした政治家の決意は、信用すべ き統計が全く存在しないという事実にも表われている。それでもなお、「公認された」無国籍者百万人に対しいわゆる「事実上の無国籍者」が一千万人もいるこ とが分っている」

■第一次大戦前の無国籍者

「第一次世界大戦以前には無国籍は稀少なケースにすぎず、ヨーロッパ諸民族の新世界への大移住が生んだ目立たない、法律家にしか関心を起さ せなかった副産物だった。アメリカ合衆国が一旦帰化しながら合衆国外に居住地を定めた者から再び国籍を剥奪した僅かなケースがその始まりである。第一次大 戦中に一連のヨーロッパ諸国が北アメリカの例に倣い政令による国籍剥奪を行なうようになった。このような措置は最初は帰化人、それも旧国籍が敵国の場合に 限られたから、単に前兆としての意味しか持たなかった。それが暗示しているのは、国家は帰化市民に対しては自国領土に生れた市民と問b 奪うべからざる諸権利を認める用意がなかったということである」

■難民政策の破綻

「無国籍が第一級の政治問題となったのは、ロシア革命の後、ソヴィエト政府が数百万の亡命ロシア人から国籍を剥奪してからのことである。こ れが一回きりの出来事に終らないことはすぐに明白になった。なぜならロシア亡命者のあとには、年代順に言えば、数十万のアルメニア人、数千人のハンガリア 人(ベラ・クン独裁崩壊後の白色テロルによって国を追われた人々)、数十万のドイツ人が続き、遂にはスペイン内乱によって五十万の共和政府軍兵士と数十万 の民間人の亡命者がフランスに逃れてきたからである」

「これらすべての亡命者のうち第一波として来た人々、つまりロシア人とアルメニア人だけは「無国籍」として/認められ、国際連盟の付属機 関、ナンセン国際難民事務局の保護の下に入ることになった。彼らは少くとも旅券と身分証明書を与えられていたから、無国籍者の中で一種の貴族階級をなして いた。問題の比重の途方もない大きさが明らかになるや否や、この現象を法解釈によって何とか始末しようという‘果てしない試みが始まった。例えばその一つ は、無国籍者と亡命者の区別を設定しようという努力である。この区別は「法律上の(デ・ユーレ)」無国籍者と「事実上の(デ・ファクト)」無国籍者という 今日の区別にほぼ相当しており、当時も今日と同様に、亡命者のケースは一時的な変則状態であるという口実が設けられていた。これらの努力はいずれも、すべ ての亡命者は実際に無国籍であり、ほとんどすべての無国籍/者は事実上亡命者であるという簡単明瞭な事実にぶつかっただけで失敗に帰してしまった。一世代 を経てもなお、本国送還なり帰化なりによって無国籍を解消し得たグループが一つとしてないことがはっきりしてみると、このような努力はまさに笑止なものと なったのである」

■庇護権(the right of asylum)の破綻

「庇護権はわれわれの時代においては次の点から見てもすでに滅びている。すなわち中世的原則 quidquid est in territorio est de territorio(一国の領土内にあるものはすべてその国に属す)が廃棄されて以来、近代国家は自国の市民については国境を越えても保護の手を伸ば し、相互条約によって外国にいる市民にも本国のある種の法律の効力が及ぶように配慮するようになった。その結果、例えばドイツ人亡命者は一連の国々では ニュルンベルク法に縛られたままであり、ユダヤ人と非ユダヤ人の結婚は本人がどこに居ようと婚姻の権利を認められなかった。庇護権はつまり、「国外移住、 帰化、国籍および追放」に関する領域においてこそまさに至上である国家のインターナショナルな権利と、絶えず衝突することになったのである」

■庇護権の崩壊と時を同じくして帰化制度も崩壊する

「しかし新しい亡命者問題に直面してからは、国家が相互底的に利用し、他の一切の考慮を単に人道主義的な第二義的なものとして無視する傾向 が一般にどこでも強くなった。これを最も明瞭に示しているのは、法的に秩序づけられた人間共同体の中に無国籍者を再ぴ組み込む唯一の合法的手段である帰化 が、容易にならなかったばかりか、ますます高まる需要の圧力によって到るところで困難となり、には大量帰化取消の大波となって終わったことである」

■フランス1935年

「ほぼ10%を占める外国人人口を抱えてヨーロッパ最大の移民国になっていたフランスは、不況時には失業を外国人労働者に押しつけて彼らを 国境から追い出すという外国人政策を早くから採っていた。最後の大規模な強制退去は一九三五年にラヴァル政権のもとで行なわれ、ほぼ50万に及ぶ外国人が 強制的に本国に送り還された。無国籍者は当然にこの大量送還の対象にはならなかった。これを機として、残った外国人は無国籍が有利である場合もあることを 知り、あらゆる手を尽して無国籍に逃げ込もうとしたケースも多かった。国家のほうでは、外国系住民を可能な限り多くの行政的カテゴリーにきちんと分類して 無国籍者をできるだけ残さないようにすることに関心を持っていたのに対し、外国人の関心はこれとは逆に、亡命者、「無国籍者」、「経済移民」、「旅行者」 などの区別を不可能にする混乱の中に姿を晦ますことにあった。該当する外国人が本当はどのカテゴリーに属すのかは、本人が本国送還や移送の危険に脅かされ るまではなかなか分らなかった」

■国民の「自由」に国家が狼狽する:領土帰属概念の崩壊

「亡命者の大集団が自発的に国家との鮮を断ち切り、あらゆる国境を踏み越えてどの国であろうとお構いなくイデオロギー戦争に参加し、外国の 軍隊に応募さえしたことである。スペイン内戦における国際旅団が各国政府をあれほど狼狽させた理由はこの点であって、共産主義への不安ではなかった。共和 政府の正規軍が結局はこれらの「祖国なき輩」と運命をともにし、それによって無国籍者の軍勢をさらに50万人もふやす結果になるだろうということは、もち ろん事を一層深刻にした。なぜならこれらの無国籍者は国籍を失ったからといって決してナショナリティ(=自らのネーションへの帰属)は失っておらず、それ を放棄するつもりもないことが明らかだったかである。東欧の諸民族と同じく彼らはナショナリティーが国家の確保する領土への帰属と等しいとはもはや見てい なかった」

■ナショナリティのポータビリティ

「スペインの地で戦ったドイツ人とイタリア人の反ファシストがヒトラーとムッソリーニに対して戦っていると意識し、数年後にフランスの地で 共和派のスペイン人がフランンコと戦うつもりで抵抗運動に加わった時、古くからのヨーロッパ国民国家の成員にとってもまたナショナリティーは領土を離れて 持ち運べる携帯品となった」

■外国人を排斥する「権利」を国家がもつゆえのジレンマ

「ヨーロッパの国民国家が、一方では自国に適さない人々を追放する国と、他方ではその人々の多かれ少かれ非合法的な受容れ国とに分れてし まったという事実は、きわめて多くの結果を生んだ。……無国籍者は送還不能の故に無国籍者なのであるから、本国へ送り還せないのは当然である。ところが国 民国家は、外国人の入国を許可するのは基本的には国外追放権を持つからにほかならないという点だけからしでも、この追放権を放棄することはできない。どこ の国も無国籍者を追放できずに困っているくらいだから追放された無国籍者を受け容れようという国はないため、追放命令を執行すべき警察は非合法手段に訴え ざるを得ない。警察はつまり夜陰に乗じて無国籍者を隣りの領土に潜り込ませ、それによって隣国の法を侵す。その給果は、隣国のほうがまた次の夜の霧に紛れ て他国の法を侵し不愉快な荷物の厄介払いをすることになる。……。無国籍者問題と亡命者問題に関するあらゆる論議は、三十年以上も、たった一つの問題のま わりを堂々巡りしてきた。すなわち、いかにして無国籍者を再び移送可能(ディポルタチオンスフェーイッヒ)となし得るかという問題である。無国籍者に欠け ているのは彼の属すべき領土であるが、それに代る唯一の実際の代替物はつねに難民収容所だった。それは世界が無国籍者 Apatride (statelessness) に提供し得る唯一の祖国 Patria なのである。」

■犯罪を通して「人権」を得る

「無国籍者とは「法律がそれに対して何の備えも持たない変則状態にある」人間である故に、彼が正常状態に戻れる唯一の道は、法律に定められ ている規範を侵すこともすなわち犯罪を犯すことである。……。犯罪者としてならばたとえ無国籍者であっても、あらゆる文明国で刑罰の執行を規定している法 の保護を受けることができる。彼が罪を犯さなかった間彼を追い続けてきた法律は、彼が一旦その法律に違反したとなると俄かに彼を再び受け容れるのである。 彼の裁判と刑罰が続いている限り、彼は恣意的な警察取締り――警察は彼を文字通り意のままに扱うことができ、その命令に対してはいかなる弁護士もカを持た ず、その決定については上級審への上訴もあり得ない――を免れることができる。およそこの世に存在するというだけの理由で昨日までは監獄に坐し、完全に無 権利で、絶えず追放や難民収容所送りをおそれていた同じ人間が、何らかの罪を実際に犯すことに遂に踏み切ったというだけで突如としてすべての市民的権利を 享受するようになる。今や彼には弁護士がつき、彼に金がなければ裁判所自身が彼の利益のしかるべき護り手を世話する義務さえ負ってさえいる。看守について 不服を訴えることもできるし、警察が彼を不当に扱った時には彼の苦情が聴き上げられ善処される。もはや何びとも彼を人間の屑として扱う権利はなく、彼が自 分の調書を見るのを拒む権利もない。むしろ誰もが彼に正確な情報を与えるべく努め、彼は自分の件に関係ある法律を学ぶことさえできるだろう。彼はようやく 人間の数に入る存在になったのである」

■人権の難問(The Perplexities of the Rights of Man)

「人権宣言にはもう一つ別の、歴史的に非常に重要な意義がある。近代の人間は彼らの社会的故郷と精神的故郷を失っていた。彼らの生れながら の身分は階級社会の諸変動によってもはや確乎としたものではなくなっていたし、また、ますます進行する世界の世俗化とともに、少くとも政治的・世俗的領域 ゐ外ではキリスト教徒として神の前に平等であるという、かつての保証も存在しなくなっていた。そのため今や政治体が、これまでは政治外の権力が与えてきた 保証を肩代りして用立てねばならなくなった。社会的権力も精神的権力も宗教的権力も提供し得なくなったものを、今や直接に国家が与え、憲法に明記せねばな らなくなったのである。……その結果は全19世紀を通じて人権が担ぎ出されたのは、増大する国家権カや社会的不公正によって個人の存在が極度に脅かされた ときばかりだったということである。こうしてほとんど気附かれぬうちに人権の理念自体が新しい意味関係の中に入ることになった。人権は被抑圧者の援助者が 彼らの権利擁護のための論拠とする一種の補足的な例外的権利となり、誰もが人権を権利なき者にとっての最低限の権利として扱うようになったのである。人権 の概念が十九世紀の政治思想においてほとんど何の役割も果さず、あらゆる権利を無残に奪われた人々の大群が初めて現れた20世紀においてすら、新たな人権 宣言を綱領の中に掲げる用意のある自由主義政党も急進主義政党も一つとしてなかったことは、このことと関係がある。人権は、動物愛護協会のパンフレットと 大して変らぬセンティメンタルな人道主義的な言葉で語る政治的には影響力のない個人や団体によって主張されるという、不幸な目にばかり逢ってきた。これは もちろん問題の性質の然らしめるところである。もし人権が、つねに前提とされている通りにすべての文明国の憲法の礎石を実際になしているならば、市民の各 種の法律は、本来国籍や民族的相違とは無関係だと菰われている譲渡することのできぬ人権をも具現し具体化していなければならない。すべての人聞は何らかの 政治体の市民である以上、人権はそれぞれ異なった形式においてであってもあらゆる人間にとって実現されていると期待していい筈である」

■「無証明の正当性をもつ」ことの危うさ

「人権は譲渡することのできぬ権利、奪うべからざる権利として宣言され、従ってその妥当性は他のいかなる法もしくは権利にもその根拠を求め 得ず、むしろ原理的に他の一切の法や権利の基礎となるべき権利であるとされたのであるから、人権を確立するためには何の権威も不必要であると思われた」

「譲渡することのできぬ人権という概念には最初から矛盾が潜んでいた。すなわち、この権利は「人間一般」を想定していたが、未開人ですら何 らかの形の人間共同生活を営むのであるから、そのような「人間一般」などはどこにも存在せず、われわれは「人間」を男たちと女たちという具体的な形でしか 知らないのだから、この権利は自然そのものと明らかに相反する、と見えたのである」

■フランス革命と国民主権

「この歴史的事実は18世紀の考え方からすれば次のようになる。すなわち、「後進的」共同体が人権を知らないのは、専制と抑圧に抗して人民 主権が人権を貫徹し得るだけの文明的成熟の段階に達していないからなのである。そのため人権の問題は最初から国民的解放や民族自決権の問題と収拾のつかぬ ほど混同されてしまった。人権を実現できるのは、人民の意志――それも自国の人民の意志ーーという解放された国民主権だけだと考えられた。フランス革命が 人類を諸国民の家族として把握していた限りでは、人権の基礎となる人間の概念は個人ではなく民族を指していたのである」

「こうして人権を国民国家において実現される人民主権と結合させたことの真の意味が初めて明らかになったのは、ヨーロッパのただ中にいなが らあたかもアフリカ大陸の荒野に非運にも放逐されたかのように、人間としても民族としても基本的権利を全く保証されない人々や民族集団が続々と現われるよ うになったときである」

■ディスプレイスト・パースンズの集団帰化

「これと全く同じいわば自発的な国外追放の要求はユーゴスラヴィアのドイツ少数民族からもあがったが、これらのドイツ人は14世紀以来スロ ヴェニア民族の中で暮してきでいながら、20世紀になって突如としてそこが自分たちの故郷ではないと発見したらしい。これと同じ類の例としては、戦争後ユ ダヤ人の「ディスプレイスト・パースンズ」が集団帰化を各国で一致して拒絶し(ドイツだけでなく、なかんずくイタリアでも)、また圧倒的多数がパレスチナ 以外への移住を拒否したことが挙げられた。このようなケースはすべて、一時的なファナティシズムもしくはショーヴィニズム、あるいはユダヤ人の場合のよう に前代未聞の規模の災禍の影響などのためではなかった。真の原因は、これらのどのグループの人々も、自分が生れと民族的帰属によってその支配に服す国家が 保証してくれない限り基本的人権などを信用してはいなかった、ということなのである」

■故郷の喪失

「無権利者が蒙った第一の損失は故郷の喪失だった。故郷の喪失とは、自分の生れ育った中に、自分にこの世での足場と空間を与えてくれる一つ の場所を築いてきたのだーーを失うことである。諸民族の歴史は個人や民族集団の多くの放浪についてわれわれに語っており、そのような不幸はそこではほとん ど日常的といえる出来事である」

「それ(=故郷の喪失)は空間の問題ではなく、政治組織の問題だったのである。人々は長いあいだ人類を諸国民からなる一つの家族というイ メージで想い描いてきたのだが、今や人類は現実にこの段階に到達したことが明らかとなったーーだがその結果は、これらの閉鎖的な政治共同体の一つから縮め 出された者は誰であれ、諸国民からなる全体家族からも、そしてそれと同時に人類からも締め出されることになったのである」

「故郷の喪失と同時に無権利者は彼らの政府の保護を失った。この喪失は故郷の喪失と同b く歴史上に例がないわけではない。……。庇護権が前提としていたのは、被迫害者の犯した行為が庇護国の法律からすれば罪とはならないような行為であること だった。……ある。更にもう一つ庇護権が前提としていたのは、亡命者が彼の国のその時の法律に違反するような行為を確かに実証可能な形で犯したということ だった」

「完全に罪のない人聞から法的人格を奪うことのほうが、その他いかなる人間から――例えば政治上の敵や犯罪者から――それを奪うよりも明ら かに容易であるということは、現代におけるわれわれの経験のアポリアの一つである」

■罪なき犯罪への刑罰

「「もしノートルーダムの塔を盗んだという罪を着せられたら、わたしは国外に去る」―― アナトール・フランスのこの有名な言葉は残念ながら彼の皮肉が予見し得た以上に深刻である。現代の亡命者はことごとくこのノートル・ダムの塔を盗んだ罪を 着せられた人々である。そして彼らはこの罪に科せられる罰からは圏外に出ても逃れることができなかった。法律家は、法律が刑罰によって定義される(殺人と は死刑の科せられる罪であるというように)ことに慣れており、確かに刑罰はつねに特定の権利の剥奪ーーその最も極端な場合は生きる権利の剥奪ーーから成り 立っているのであるから、何らの特定の犯罪をも定義しない刑罰、そればかりか、いかなる罪過とも全く関連のつけようもない刑罰が存在することを理解するの は、法律家にとっては素人よりも困難だろう。われわれの時代においては絶対的な無権利が絶対的な潔白に対する刑罰であることが明らかになったのである」

■権利喪失者への理解困難

「人権がかつてどのように定義されたにせよ(生命、自由、幸福の追求の権利というアメリカの定義、あるいは法の前での平等、自由、所有の権 利および国民主権というフランスの定義)、またその後「幸福の追求」のような唆昧な表現に修正を加えたり私有財産権のような時代遅れの権利に条件や制限を 加えたりする試みがいかになされようとも、20世紀において事実人権を奪われている人々の現実の状態はこれらの人権の定義では把握不可能である。なぜな ら、これらの個別の権利のどれ一つを失ったとしても、人権の喪失という言葉が当てはまる唯一の状態である完全な無権利状態を必ずしも結果としてもたらしは しないからである」

■全体主義政権下の「無権利者」への暴力

「無権利者の不幸は、彼が生命、自由、幸福の追求、法の前の平等、いわんや思想の自由などの権利を奪われていることではないからである。こ れらすべては所与の共同体の内部の諸権利を守るために定式化されたものであり、それ故に無権利者の状態とは何の関係もない。無権利状態とはこれに対し、こ の状態に陥った者はいかなる種類の共同体にも属さないという事実からのみ生れている。彼のためには法が存在しないような人間のために法の前の平等を要求す ることは無意味である。彼が法律に規定のある犯罪を犯すことによってその法律の前に立つところまで漕ぎつければ、この法律の前で不平等に扱われることはほ とんどないだろう。全く抑圧されていない人間、彼の不幸は彼を抑圧しようと望む者さえないことだと定義され得るような人間のために、自由を要求しても始ま らない。彼の活動の自由は独裁者が支配する国の合法的住民より逢かに大きいこともしばしばだし、民主主義国の難民収容所にいる場合ならば彼の思想の自由に ついても同じことが言える。彼の生命の権利を脅かすのは全体主義政権のみであり、その場合でも、あらゆる直接的暴力にもまして確実に彼を生ける者の世界か ら切り離すあの完壁な無権利状態に到るまでの長い過程の最後の段階においてである。ナチはユダヤ人を例に取って彼ら一流の徹底性をもって、人間絶滅のこの 長い準備過程を全世界の前で実演して見せた」

「そして彼らが全人間世界における「余計者」あるいは居場所のない者であると立証されたとき、初めて絶滅が開始された。換言すれば、生命に 対する権利は、絶対的な無権利――すなわちこの特定のカテゴリーの人間に対し権利を保証する用意のある者が全くいない状態ーーが既定事実となったときはじ めて危地に立たされるのである」

■無権利、居住権ぬきの活動の自由

「無国籍者が非全体主義国で享受した諸権利、多くの点で宣言に謡われた人権と一致する個別的諸権利は、無権利という根本的状況を些かも変え ることはできない。彼の生命は場合によっては私的あるいは公的福祉団体によって数十年も維持されることはあるが、それは私的機関の慈善か公的機関の困惑の おかげであって、彼が生きる権利を持つからでは決してない――彼の扶養を各国に強制し得るような法律は存在しないからである。彼の活動の自由は――もとも とかなり制約されてはいるが――居住権に基づくものではなく、居住権なしの活動の自由は狩猟期の野兎の自由とやり切れないほど似ている」

■人権の喪失

「人権の喪失が起るのは通常人権として数えられる権利のどれかを失ったときではなく、人間世界における足場を失ったときのみである。この足 場によってのみ人聞はそもそも諸権利を持ち得るのであり、この足場こそ人間の意見が重みを持ち、その行為が意味を持つための条件をなしている。自分が生れ 落ちた共同体への帰属がもはや自明ではなく絶縁がもはや選択の問題ではなくなったとき、あるいは、犯罪者になる覚悟をしない限り自分の行為もしくは怠慢と は全く関りなく絶えず危難に襲われるという状況に置かれたとき、そのような人々にとっては市民権において保証される自由とか法の前での平等とかよりも透か に根本的なものが危くされているのである。彼らはたとえまだ無傷な文明が生命を保証してくれる場所で生きているとしても、政治的には生ける屍である。ソ連 は二十年代にロシアから追われた数百万の亡命者―― 彼らの唯一の罪はたまたま間違った階級に生れついたということなのだーーをこのような生ける屍にしてしまった。ナチス・ドイツは、ユダヤ人に自ら徒党を組 む機会も与えぬうちに彼らを「敵」と宣言したとき、それと同じことをしたのである。」

■諸権利をもつ権利を奪う〈悪〉

「諸権利を持つ権利――これは、人聞がその行為と意見に基づいて人から判断されるという関係の成り立つシステムの中で生きる権利のことを言 うーーというようなものが存在することをわれわれが初めて知ったのは、この権利を失い、しかも世界の新たな全地球的規模での組織化の結果それを再ぴ取り戻 すことができない数百万の人々が出現して、からのことである。この惑は抑圧とか暴政とか野蛮のような歴史上知られた悪とはほとんど関係がない〈従っていか なる人道主義的療法を以ってしても治癒不可能である)。この悪が生れ得たのはひとえに、地球上に「文明化されない」土地がもはや一片も残らなくなったから であり、われわれが望むと望まぎるとにかかわらず現実に「一つの世界」に生きるようになったからである。地球上の全民族が現在も抗争はあるにも拘わらずす でに一つに組織された人類となった故にこそ、故郷と政治的身分の喪失は人類そのものからの追放となったのであ」

「〈語られたこと〉の重要性の喪失とそれによるリアリティーの喪失は、ある意味で言葉の喪失を含んでいる――ただし肉体的な意味でではな く、アリストテレスが人間を言葉を使うことのできる動物と定義したような意味でである」

Mundtot:「口の死せる者」=法律上の無資格者

■アリストテレスにおける「奴隷問題」(=奴隷が存在することに関する問題)

「アリストテレスにとって奴隷は厳密には人間でなかったということは特徴的である。だがその場合われわれは次のことを想い起さねばならな い。すなわち、奴隷制の根本的な罪は奴隷が自由を失ったこと(これは他の事情のもとでも起り得る)にあるのではなく、自由を求める戦いが不可能となるよう な制度が作られたこと、つまり人々が自由の喪失を自然から与えられた事実として理解し、あたかも人聞は生れながらに自由人か奴隷かのいずれかに定められて いるかのように思い込まされるような制度が作られたことにある。人権宣言においてやはり自由が「生れながらの権利」と宣言されたことは、この理論の最後の 名残であるに過ぎない。生れながらの自由は今やすべての人間に、奴隷にまでも認められたが、自由も非・自由もともに人間の行為の産物であって「自然」とは 全く無関係であることは看過されてしまった」

■人権概念の脆弱性

「人権が初めて宣言されたとき、人権は歴史とも、歴史がある種の社会層に与えてきた特権とも無関係であるとされた。この新しい独立性の中 に、新たに発見された人間の尊厳が存在したのである。ところがこの新しい尊厳は最初から実に多くの問題を含んでいた。歴史的な諸権利は自然的な諸権利に置 き替えられ、歴史は「自然」によって地位を奪われたのだが、その場合、暗黙のうちに前提とされていたのは、人間の本質にとっては自然のほうが歴史よりも親 しい関係にあるということだった。『人権宣言』 Declaration des Dreoits de l’Homme も『独立宣言』 Declaration of Independence もともに「奪うべからざる」、「譲渡することのできない」、「生れながらの」権利や「自明の真理」について語っているが、これらの用語からしてすでに人間 的「自然」に対する信仰を含んでおり、この「自然」は個人の成長法則と同じ法則に服し、この「自然」から権利と法が導き出されると考えていることを示して いる」

■審問

「明らかに法のカテゴリーも権利のカテゴリーも知らない宇宙から、いかにして法と権利を導き出すことができようか?」

■「解放」というモード

「18世紀の人聞が歴史から自己を解放したのと全く同b に、20世紀の人聞は自然からの解放を遂げた。歴史と自然はこの意味で、つまり人間の本質はそれらのカテゴリーをもってしてはもはや把握できないという意 味で、同じようにわれわれにとって無縁である。他方、18世紀にとってはカント的に言えば規制的理念(レグラティヴィエ・イデー)でしかなかった人類は、 われわれにとっては逃れることのできない事実となった。かつては自然なり歴史なりが負わされていた役割を「人類」が事実上引き継いだというこの新しい状況 は、ここでの文脈で言えば、諸権利を持つ権利、あるいは人類に属すという各人の権利は、人類自体によって保証されねばならないということを意味するだろ う。これが可能かどうかは決してまだ確定していない。なぜなら、国際機関に新たな人権宣言を行なわせようとする善意の人道主義的努力とは反対に、この考え は現在の国際法の領域、すなわち国家間の協定や条約という領域を踏み越えていることが理解されねばならないからである。それに、諸国家を超えたところに立 つような国際法の領域は今のところまだ存在しない」

■「何かにとっての善」を正義と結びつけることの危うさ

「(「ドイツ民族を益することが正しいことだ」というヒトラーの言葉は、きわめて一般的な法の観念を卑俗な形で表現したものにすぎず、この ような考え方が実際にカを発揮せずにいるのは憲法にまだ生きている旧来の伝統がそれを妨げている間だけでしかない。)正しさを何かにとっての善――個人に とってであれ、家族、民族、あるいは最大多数にとってであれーーと同一視するような法の把握は、宗教もしくは自然法の絶対的、超越的規範が権威を失ってし まったときには避け難く姿を現わす」

■多数決で不善(=悪)をなす

「人間を一人残さず完全に一つの組織に組込み統制するようになった人類が、ある日きわめて民主的な方法で、つまり多数決によって、人類全体 にとっては一部の人間を抹殺するほうがよいと、決定するというようなことは考えられないわけではなく、実際的・政治的可能性の範囲内にさえ入っているから である」

■無意味な「抽象」としての人権

「……われわれの最近の経験とそこから生れた省察とは、かつて【『フランス革命の省察』の】エドマンド・バークがフランス革命による人権宣 言に反対して述べた有名な論議の正しさを、皮肉にも遅ればせながら認めているように思われる。われわれの経験は、人権が無意味な「抽象」以外の何ものでも ないことをいわば実験的に証明したように見える。そして権利とは、生命自体と同じく代々子孫に伝える「継承された遺産」であること、権利とは具体的には 「イギリス人の権利」、あるいはドイツ人の、あるいはその他いかなる国であろうと或る国民の権利でしか決してあり得ない故に、自己の権利を奪うべからざる 人権として宣言するのは政治的には無意味であることも証明されてしまった。自然法も神の戒律ももはや法の源泉たり得ないとすれば、残る唯一の源泉は事実、 ネイションしかないと思われる。すなわち権利は「ネイションから」生れるのであって他のどこからでもなく、ロベスピエールの言う「地球の主権者たる人類」 からでは決してない。バークの論議の実際上の正しさについては疑問の余地がない。国民としての権利の喪失は、十八世紀以来人権として数えられてきた諸権利 を失うという結果をあらゆる場合にもたらしてきた」

「人権の概念はバークが予言じた通りに、人間が国家によって保証された権利を失い現実に人権にしか頼れなくなったその瞬間に崩れてしまっ た」

「……人権の基礎をなすといわれる理念(すでに見てきた通り現代世界においてはどっちみち普遍的な政治的効力を持たなくなった理念ではある が)だけを考えてみたとしても――アメリカの人権宣言におけるように神の似姿として創られた人間という理念、あるいはフランスの宣言におけるように、すべ ての人間において人類が代表されているとする考え――、果してこれらの理念が問題の実際に有効な解決に役立ち得るかは甚だ疑わしい」

「無国籍者、絶滅収容所の生き残り、・強制収容所や難民収容所にいた人々、これらの人々はみな〈人間以外の何ものでもない〉という抽象的な 赤裸な事実が彼らの最大の危険であることを悟るのに、パークの論証を侠つまでもなかった。……彼らが自分たちのナショナリティにファナティックに固執する のは、この野蛮状態に対する本能的な反応であり、各ネイショシに組織された文明的人類に彼らも属していたことの必死の証明だった。彼らにとって人権があれ ほど疑わしく思われたのは、それが未開の野蛮民族ですら同じように持つはずの権利であるからにほかならない。この点をすでにバークは指摘して、生れながら に人間に具わった権利など「裸の未開人」の権利とでも考えるほかには想像もつかない、そのような権利より自分はいずれにせよ「イギリス人の権利」のほうを 選ぶ、と言ったのである。バークはさらに、文明諸国が人権を憲法の基礎とするようになったら諸国はまさにそのことにより「自然状態」野蛮へと引き戻される ことになるだろう、という危倶を述べている」

「人権だけしか存在しない自然状態と、人権以外のすべての権利が失われた無国籍状態とを比較することにより、われわれはバークの論議を彼自 身よりもよく再検討できる立場にあるわけだが、この二つの状態の類似性はあらゆる点で立証され得る。無権利者はどんな扱いを受けようと、またその取扱いが 正当か不当か、彼らが難民収容所に収容されているか、あるいは自由の身であるかなどとは全く無関係に、彼らは人間によって築かれた世界と共同の労働の賜で ある人間生活のすべての領域とに対する関係を失っている。未開部族の悲劇は、彼らが全く手をつけることのできない自然の中で、それ故に自然に圧倒されたま まで生きていること、そして彼らの生活の一つ一つの跡を後代に伝え得る共同世界、それが全体として人間的に理解し得る彼らの存在証明となり得る筈の共同世 界を築くことなしに生きそして死んでゆくことにあるが、この自然に囚われた状態とそれ故の虚しさとが、われわれにとって「自然状態」の本来の特徴であると するならば、現代の無国籍者・無権利者は事実上「自然状態」に引き戻されてしまっている」

「文明と野蛮の聞の対立と敵意は歴史的関心事以上のものである。文明が発達すればするほど、文明が生んだ世界が完全に人間の故郷となればな るほど、人間の技術が築いたこの「人工的」建物で人聞が居心地よく落着くようになればなるほど、ますます人間は、自分、が造り出したり手を加えたりしてい ないものに対して神経を尖らせ、大地や生命自体のように神秘的な不可解な仕方でさりげなく存在するものすべてを野蛮だとみなしたがるようになる」

「ローマ人このかた高度に発展した公的生活はこの私的領域全体に深い不信の念を抱いてきた。人聞が造らなかったもの、造ることのできないも の、しかもそれからは人聞が決して自由になれないものに対する一種の憎悪である。政治的にはこの憎悪は、われわれの一人一人が他人に真似のできない、変え ることのできない、その人だけの独自性を持つことに対する不満という形で最も明瞭に示される。文明社会はこれをすべて私生活の領域に追いやってしまった。 なぜなら、すべての人間存在の個々に具わるこの独自性は、公的生、活に対する不断の脅威となるからである――公的生活は万人がその前に平等である法に立脚 することに断乎として固執するのに対し、私的領域は多様性と無限の相違という事実にやはり断乎として根を下ろしているのだから。平等とは所与の事実ではな い。われわれが平等であり得るのは人間の行為の産物としてのみである。われわれの平等は、われわれ自身の決定によって互いに同じ権利を保証し合う集団の成 員としての平等である」

「……生活の広い部分が公的問題の対象とされるようになった高度に発展した政治共同体は、つねに外国人に,対する敵意を示す傾向があるが、 その理由は、外国人は自国人よりもはるかに明瞭に自然によって与えられた変えることのできない相違を顕示するからである。同じ理由からこれらの政治共同体 は人種的同質性にあれほど宿命的に執着するのであり、異質な人々を同化し得ないことが原因となって滅亡することも多いのである」(アーレント「第2部:帝 国主義」みすず版、288頁:訳語は一部変えてある)。

「われわれが通常生きている文明世界、今世紀においては全地球を包み込むまでに拡大された文明世界の中では、かつては未開民族に代表されて いた自然状態は、一切の人間共同体から放り出されたことにより自然のままの所与性にのみ依存して生きざるを得なくなった無国籍者・無権利者に具現されてい る」

「なぜなら、無権利者は単なる人間でしかないといっても、人と相互に保証し合う権利の平等によって人間たらしめられているのではなく、絶対 的に独自な、変えることのできない無言の個体性の中にあり、彼の個体性を共通性に翻訳し共同の世界において表現する一切の手段を奪われたことによって、共 同であるが故に理解の可能な世界への通路を断たれているからである。彼は人間一般であると同時に個体一般、最も普遍的であると同時に最も特殊であって、そ の双方とも無世界的であるが故にいずれも同じく抽象的なのである」

「これは古代および中世に行なわれた法的保護の剥奪 Vogelfreiheit と Friedlosigkeit が持っていたおそるべき危険だった――Vogelfreiheit と Friedlosigkeit は犯罪者をして法に屈服せしめるための強制手段だったが、近代の警察制度と現代の犯罪者引渡条約によって、消滅した。今日の世界中の亡命者に宣告されてい る刑はこの昔の法的保護剥奪である」

「更にまた亡命者の数の絶えざる増大はわれわれの文明と政治世界にとって、かつての野蛮民族や自然災害に似た、おそらくはもっとおそるべき 脅威となっている。ただ今日の場合は、どれかの一文明ではなく全人類の文明が危地に立たされているのである。地球全体をくまなくつなぎ合わせ包み込んでし まった文明世界は、内的崩壊の過程の中で数百万という数え切れぬほどの人聞を未開部族や文明に無縁の野蛮人と本質的には同じ生活状態に突き落すことによっ て、あたかも自分自身の内から野蛮人を生み出しているかのようである」

 

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